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広島世界平和ミッション ウクライナ編 未来への模索 <6> 良心の呵責 人間性封じ核発射訓練

 キエフを出て四時間。ミッション一行を乗せたバスは、主要幹線道から未舗装の脇道へ乗り入れた。トウモロコシ畑の向こうに緑色のミサイルが見えてきた。

 核ミサイル基地の司令部は鉄条網に囲まれていた。ここを中心に八カ所の施設が点在。いずれも地下発射施設のサイロが数基ずつあった。

 「閉所恐怖症の人はいませんね」。かつて基地司令官を務めていたオレクサンドル・エブゲノビッチ予備役大佐(42)の案内で、戦略ミサイルの貯蔵庫から、地下の司令部本体に続く狭い通路を約百メートル進んだ。

45メートルの円筒■
 司令部は直径六メートル、高さ四十五メートルの円筒で、地下に縦向きで埋められている。特別な車両を使えば、丸ごと引き抜いて移動できる。内部は十二層に分かれ、底から二層目にミサイルの発射ボタンを備えた部屋があった。「兵士は二人一組が一日三交代で詰めていた」とエブゲノビッチさん。

 司令部にたどり着くには、通路に設けられた鋼鉄製の扉を三回通る。重量はそれぞれ九百キロ。ドアごとに日替わりの合言葉が決められていた。

 「ひきがね12」。意味のない合言葉を交代要員がマイクに唱える。発射ボタンの前に座る兵士が合言葉を照合して、遠隔操作でドアの鍵を開ける。交代要員が六けたの暗証番号を押してドアを開く。不審者の侵入を防ぐための手順だ。

 メンバーは司令部の最上層に立った。頭上は地面だ。周囲には貯水タンクなどが所狭しと並ぶ。万一、地底の兵士が外部から孤立した場合、四十五日間活動できる。

 壮大な「遺跡」に市民活動家の小畠知恵子さん(52)は「旧ソ連に限らず、私たちは税金でどれほど無駄で危険なものを買わされているか、もっと関心を持たなくちゃ」と自戒を込めて言った。

 エブゲノビッチさんから司令部内の装置などについて説明を受けた後、すぐ脇のサイロへ移動した。直径六メートル、深さ三十五メートル。地中深く埋められたこの円筒の中に、大陸間弾道ミサイル一基が納められていた。

 現在は百二十トン余りの鋼鉄製のふたを開けかけた状態で保存展示している。しかし、内部は再び使えないようにコンクリートで固めていた。見学した司令部とサイロを除く他の施設は、ミサイル撤去後、二〇〇一年中にすべてを破壊。現在は農地に転用している。

30分で破滅■

 「発射までの所要時間は?」。見学中のメンバーの疑問にエブゲノビッチさんは「発射ボタンを押してからミサイルが飛び出すまでに二分、アメリカに到達するまでに三十二分」と答えた。

 「えっ、短い」とメンバーから驚きの声が上がる。冷戦時代に、もしここからミサイルが発射されていたら、米国もすかさず応射し、全面核戦争に至っただろう。世界は三十分余で破滅の道へと転がり落ちたことになる。

 被爆者の森下弘さん(74)が「発射ボタンを押す兵士に良心の呵責(かしゃく)はなかったのですか」と尋ねると、エブゲノビッチさんは「そんなことがないように訓練していた」とためらいもなく即答した。

 無機質な答えに納得できない森下さんは、なおも食い下がる。「広島に原爆を投下した爆撃機の乗員の中には戦後、良心の呵責に深く苦しんだ人もいる。本当に心の揺れはなかったのですか」

 エブゲノビッチさんはその問いには真っ正面から答えず、ウクライナが核兵器廃絶を決意した理由に「そうした苦しみを感じなくて済むように、という願いもあったのでしょう」と返した。

 見学後、森下さんは「ミサイルが発射されなかったのは幸運だった。でも、まだ他国にはたくさんこうした施設が残っている。それを思うと、ホッとしてもいられない」と気を引き締めた。

(2005年1月17日朝刊掲載)

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