×

連載・特集

広島世界平和ミッション ボスニア・ヘルツェゴビナ編 紛争を超えて <3> キックオフ

民族融和へ共にプレー

 セルビア人が主に暮らすサラエボ近郊のボイコビッチ地区。その空き地で、少年サッカーチーム「市民交流団体クリロ」の練習が続く。ミッション第四陣メンバーの四人も飛び入りし、一緒にボールを追いかけた。

 「ナイス・セーブ」。被爆者の森下弘さん(74)のプレーに、少年たちから称賛の声が飛ぶ。上半身は白い下着姿。薄い胸で、少年のキックを受け止めた。

 クリロのメンバーは十五歳から十九歳までの二十八人。セルビア人とムスリム人がほぼ半数ずつである。

残るしこり■

 土、日曜のいずれも午前中が練習日。うち一日をボイコビッチ地区で、もう一日をムスリム人が多く住むイリジャ地区で練習する。二つの練習場は車でわずか十五分。だが、セルビア、ムスリム両地域にまたがる公共交通がないため、コーチが日本の国際協力機構(JICA)から贈られたバンで送迎する。

 チームの創設は二〇〇〇年二月。九八年から一年間、民族融和を進めるボランティアとしてサラエボに滞在した東京・三鷹市出身の森田太郎さん(27)が、地元の教諭や友人らと実現させた。

 サラエボ近郊は紛争中、セルビア人とムスリム人が激しく戦い、いまだに強いしこりが残る。現地スタッフ五人が、子どものいる知人宅を回って参加を呼び掛けた。その一人、セルビア人の技師でコーチのズドラブコ・ジェビッチさん(33)は、セルビア側の家々を訪ねた。

交流が復活■

 最初は「うちの子がなぜムスリム人とサッカーをする必要があるのか」と親たちから強い反発を受けたという。そんなとき彼は「戦前はどの民族とも仲良く住めていた。サッカーも同じだよ」と話し掛けた。

 メンバーは少しずつ集まった。しかし、練習は最初、民族ごとに場所が分かれていた。子どもたちの中には「相手の地域には人殺しが住んでいる」と思い込む者もいた。数カ月後、コーチ陣の誘いでムスリムの少年一人がセルビア側の練習に参加。それを機にチームが一つになった。

 が、子どもたちが普段、何げなく使っている相手民族への悪口をフィールドでもつい言ってしまい、けんかになる場面もあった。応援席に来たムスリム側の親が、セルビア人をやゆする歌を歌っていざこざが起きたこともある、という。

 ジェビッチさんらは、保護者会や親子サッカー大会などを通じて、親世代の和解の輪も広げるように努めてきた。

 「親の世代にはまだ戸惑いがある。でも、徐々に普通に付き合えるようになってきている」とジェビッチさんは楽観的だ。紛争前の友人同士が練習会場で再会し、交流を再び始めたケースもある。

 「練習中にセルビアの子に足が当たってけんかになったけど、すぐ仲直りできたよ」(13歳)「ムスリムにもいい友達がいる。大人たちもこれから仲良くなっていけると思う」(11歳)…。子どもたちはサッカーを通じて、同じ人間であることを肌で学んでいる。

 ただ、クリロといまだに交流試合を拒むチームもあるという。国内の少年サッカーリーグに入れないのも大きな悩みの種だ。練習場を一つに決めないと加盟できない。「二つの練習場を使ううちのチームは、まだそれができない」とジェビッチさんは今後の課題を挙げた。

 それでも「民族の違いを超えるにはスポーツが一番の近道」との信念は揺るがない。練習を終えた子どもたちと森下さんらメンバーの汗で輝いた笑顔が、そのことを証明していた。

(2005年2月9日朝刊掲載)

年別アーカイブ