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社説・コラム

天風録 『ある被爆記者、逝く』

 時節柄、寒中見舞いが届くが裏面が薄墨の文字だと、どきりとする。過日は「山野上(やまのうえ)純夫」の名に続き、お身内から「生涯一記者を果たしました―」とあった。92歳を一期として▲あの日、山野上さんは広島市内の東千田町で閃光(せんこう)を見た。当時、広島高師付中の「科学学級」4年。間もなく都市一つ焼き尽くす実験がある―と物理学者の教官は予言したが、まさか学びやで遭遇するとは。12年前に本紙「緑地帯」で回想していた▲毎日新聞の広島支局を振り出しに記者稼業に入る。復興期の広島市政の生き字引。京都の宗教紙でも論説に健筆を振るった▲本紙への寄稿に「菩薩行(ぼさつぎょう)」とある。あの日、後にドイツへ渡る級友外林(そとばやし)秀人さんは重傷の友を支え、燃える市街から西へ避難したという。その月に友は息絶えるが、外林さんの無私の行いがなければ、炎の中で行き倒れていた。同い年の少年に、山野上さんは菩薩を見たのである▲ヒロシマを取材することは自らを取材することだった―という一文もある。昨秋もらった最後の私信では「何か、心のモヤモヤをぶつけた感じになりました」とわびていた。世界を覆うモヤモヤを案じつつ永遠(とわ)の取材に旅立ったのかもしれない。

(2022年1月24日朝刊掲載)

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