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広島世界平和ミッション インド編 非暴力の行方 <3> ガンジー殉難日 融和を願い行進や祈り

 千四百万以上の人々がひしめき合って暮らすインド最大の都市ムンバイは、一月でも暑気を感じるほどだった。

 デリーから空路約二時間。到着したばかりのミッション第五陣メンバーは、ひと息つく間もなくムンバイ市の目抜き通りを市民らと行進していた。マハトマ・ガンジーの命日を前に、地元のガンジー記念協会が主催した「平和行進」だ。

 行進は宗教、民族間の融和や非暴力を訴え、市民らによって二十年ほど前から続けられている。「せっかくだから被爆地広島からも参加して、思いを伝えてほしい」。現地に三十年以上暮らす日本人住職の森田捷泉さん(57)に紹介され、飛び入りで加わった。

「同じ人間」■

 一九九八年、インド人の平和活動家らと一緒に街頭に座り込んで核実験に抗議した森田さん。「インドはお釈迦(しゃか)様の国、力ではなく内なる祈りで独立したガンジーの国。今こそ世界はガンジーの心を思い起こすべきです」。額に汗をにじませ、メンバーらと行進の先頭に立った。

 被爆者の岡田恵美子さん(68)ら五人は、原爆被害を示す写真パネルを高く掲げた。隣にはイスラム、ヒンズー、キリスト教を表した衣装を身にまとい、宗教融和を訴える子どもたちがいた。

 インドの人口は約十億三千万人。ヒンズー教徒が83%、イスラム教徒が11%のほか、キリスト教3%、シーク教2%など多様な宗教や文化が共生する。その分、宗教間の争いもしばしば起こる。

 「宗教は違ってもみんな同じ人間!」「憎しみは人を傷つけ、調和は人を癒やす!」。老若男女約二千人が参加した約一キロの行進中、そんなシュプレヒコールが飛び交った。

 東広島市職員の中谷俊一さん(37)が、ゴール地点で若者と語らっていた。大学三年のカノジャ・カマルさん(23)は、広島から来た一行に連帯の思いを込めて言った。「ガンジーの教えは非暴力だ。たたかれてもたたき返さない。被爆者が米国に仕返しをせず、平和を訴えているのと共通している」

 翌日は、早朝からガンジー記念館であった祈りの集いに参加した。ガンジーの精神を引き継ぐ「ガンディアン」と呼ばれる人たちが、手織りの白い布「カディー」を身にまとって祈りをささげていた。各宗教の歌や祈りが続く。

 同記念館のウシャ・タッカー館長(60)は「平和だ紛争解決だと言葉で言うのはたやすいが、実現は難しい。ガンディアンとヒロシマはそのためのブリッジになり得る」と力説した。

原爆を非難■

 独立運動にかかわった八十歳以上のガンディアンたちは、四六年に自らの論文で原爆投下を強く非難したガンジーと同じように、インドの核政策に反対し、反核運動を続けている。その一人、拝火教徒のアルジェ・ダシュトさん(92)が、タッカー館長の言葉にうなずきながら、岡田さんの手を黙って握りしめた。

 メンバーは、市中心部のガンジー像前で開かれた記念式典にも加わった。約三百人の市民を前に、会社員のジェームス・ジョーセフさん(48)が、広島に暮らすインド人としてあいさつ。「平和のために手をつなごう」と訴えた。

 主催者は「私たちが忘れてきたガンジーの精神を、広島の人たちが思い出させてくれた。一人ひとりが小さなガンジーになろう」と、会場に呼びかけた。

 命日にちなんだ平和集会は夜まで続いた。

 「インドにはまだ非暴力や平和を訴え続ける人たちがたくさんいる。こうした取り組みを逆に広島に持ち帰りたい」。ジョーセフさんは思いを新たにしていた。

(2005年3月18日朝刊掲載)

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