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連載・特集

広島世界平和ミッション 第六陣の横顔 <1> 松島圭次郎さん(76) 広島市佐伯区五月が丘

被爆語り世論を喚起

 広島国際文化財団が派遣する「広島世界平和ミッション」第六陣は四月一日から、米国を訪れる。イラク戦争を始め、新型核兵器の開発などに取り組む核超大国に、ヒロシマのメッセージを届けるメンバー四人の横顔と思いを紹介する。

 中学校の英語教諭を長年務めた。月数回は広島を訪れた外国人に、英語で被爆体験を語る。

 先日、オランダの放送記者の取材を受けた。肉声はオランダをはじめ欧米のラジオで放送される。「米国を憎んでいないのか」との記者の問いにこう答えた。「いまだ涙にくれて暮らす被爆者や遺族もいる。原爆は憎い。でも、人を恨む気持ちはもう消えた」

 たとえ、広島に原爆を落とした爆撃機エノラ・ゲイの乗組員と対面しても握手するだろうという。「ただ、もう二度とするなよ、とは付け加えるがね」。ユーモアの中に信念が光る。

 「広島の人々に共通するのは、いかなる民族の上にも悲劇が二度と繰り返されないようにという願いだ」と強調。「米国では、互いの過去を責め合うのではなく、将来を見通す話し合いをしたい」と平和ミッションでの目標を掲げる。

 爆心から約二キロにあった広島市中区の広島工業専門学校(現広島大工学部)の教室で被爆した。当時十六歳。窓ガラスの破片で全身に切り傷を負った。「爆心と反対側の南側の窓際に座っとったけえ、やけどをせんで済んだ」と振り返る。

 東区の寮を経由して、東広島市に疎開していた母の元へ逃れた。避難途中に出会った全身にやけどを負い、両手を前に突き出して歩く動員学徒の姿…。同世代の悲惨なその光景は、特に忘れられない。

 国泰寺中(中区)の教員だった一九六六年、シカゴ郊外の友好校へ非常勤講師として招かれた。一年間、地域の学校や集会で被爆体験を語った。

 ある日、会場から「真珠湾を忘れるな」と声が上がった。同行していたホームステイ先の夫人が「彼は核兵器の危険性を伝えたいのであって、真珠湾と比べるべきではない」とすかさず代弁してくれた。「いるんですよ。米国にも広島の願いを理解してくれる人が」。その体験がいまだに希望となっている。

 証言活動を積極的に始めたのは、校長職を退いた八九年から。米国やドイツ、ベルギーに市民使節団の一員として訪れた。今回のミッションでも「核兵器がどんな被害をもたらすのか知ってほしい、という一念を込めて話したい」。

 「知識は力なり」。遠回りでも、真実を伝える努力が核兵器廃絶の世論づくりにつながると信じる。

(2005年3月22日朝刊掲載)

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