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広島世界平和ミッション インド編 非暴力の行方 <5> 若者の連携 ガンジーの志 継承に力

 澄んだ空気、広がる青空。あちこちで牛が草をはみ、低木の茂みでイノシシがたわむれる。インド中部の都市ナグプールから南西約八十キロにあるワルダ。独立運動でマハトマ・ガンジーが、非暴力・不服従運動を実践した拠点として知られるのどかな町だ。

 ミッション第五陣の最年少メンバー、広島修道大四年の佐々木崇介さん(22)は、早速この地で友達を見つけた。国立マハトマ・ガンジー国際ヒンディー大で、同じ平和学を専攻するクマール・スンダラムさん(24)だ。首都デリーの大学で四年間学んだという日本語は達者だった。

 スンダラムさんが通う大学は「非暴力・平和学部」を備えたインド初の国立文科系総合大学院。大学卒業レベルの約百人が全国から集まっている。一行はそこで「平和授業」を計画していた。

 授業を前に二人の会話は共通の話題で弾んだ。

 「日本の大学には平和学部がない。私の所属も国際政治学科。ガンジーの遺志を、学問として体系化して継承できる学部があるなんて素晴らしい」。うらやむ佐々木さんにスンダラムさんが「確かに国際政治の平和の定義と、ガンジーの非暴力の定義は違う」と応じた。

「敵」が友に■

 佐々木さんが自問するように続ける。「広島の人間として、核兵器の保有や戦争が紛争の解決にはならないと思うけれど、ではどうすべきか。この地で考えたい」。するとスンダラムさんは自身の体験を語り始めた。

 「一九九八年にインド、パキスタンが核実験をした時、私は高校生だった。パキスタンはいつもインドを先に攻撃してくるから、インドが実験するのは仕方がないと思っていた」

 だが三年前の偶然の出来事を通して、考えが変わったという。日本語研修で東京を訪ねた時のことだ。インド人の若者だと思って声を掛けると、パキスタン人だった。が、彼と話すうちに「大の仲良し」になった。その体験がきっかけで今、平和学部で国際情勢やガンジーの精神を学ぶようになった。

 「友人や学問を通して互いを知ることから、少しでも国同士の関係が良くなればと思う」。スンダラムさんの言葉に触発されたように、佐々木さんはリュックサックから数枚の紙を取り出した。学友たちから預かったインドの若者への平和メッセージだ。

 東広島市職員で市教委に籍を置く中谷俊一さん(37)も、地元の広島大の学生から託された手紙をスンダラムさんに渡した。「せっかくの出会いを生かして、大学生同士でつながりを持ったらいいんじゃない」。中谷さんは意気投合した二人に提案した。

交流を提案■

 国際ヒンディー大での平和授業には約三十人の学生が集まった。佐々木さんはいつになく力のこもったスピーチをした。

 「多くの被爆者は、ガンジーの唱えた非暴力こそが平和をつくると信じて実践してきた。ここに来て広島とワルダのつながりを強く感じている」

 佐々木さんはさらに、広島から平和を、ワルダから非暴力を伝える努力を互いにしようと訴え、最後に「平和学を通じた交流をしていこう」と呼び掛けると、大きな拍手が起きた。

 佐々木さんとスンダラムさんは、今もメールを交わす。「ワルダと広島が連携し、平和の精神を発信していけたら、政治やメディアの影響で好戦的な愛国主義を吸収しているインド人も目が覚める」とスンダラムさん。

 新学期から修道大の大学院に進む佐々木さんは、大学レベルでの提携ができないか、教授に提案してみるつもりだ。

(2005年3月22日朝刊掲載)

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