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連載・特集

広島世界平和ミッション インド編 非暴力の行方 <6> 被爆地訪問 国超え強まる若者の絆

 「元気だった? 遠い所をありがとう」。ミッション第五陣メンバーの会社員ジェームス・ジョーセフさん(48)は、満面に笑みをたたえ、ムンバイ大でコンピューター工学を学ぶビニット・マルカンさん(20)と滞在先のホテルで再会した。

 二〇〇一年の夏、広島の市民団体「インド・パキスタン青少年と平和交流をすすめる会」の受け入れで被爆地を訪問したマルカンさんは、広島県海田町のジョーセフさんの家庭に滞在。ジョーセフさんのムンバイ訪問を知って、自宅から二時間かけて会いに来たのだ。

 すすめる会のプロジェクトは、印パ両国が核実験を応酬した後、現地の平和運動家たちの要望に応えて二〇〇〇年に始まった。〇三年までに計四回、三十六人の若者を招いた。

 原爆資料館の見学や平和記念公園の碑巡り、被爆者や中高生との対話、医師や物理学者の講義など、十日間ほど「ヒロシマ」を体験学習する。

 「あまりの破壊の大きさに、なぜ人間はこんなひどいことができるのかと思った。戦争や核兵器保有の罪悪性を感じて、母国で伝えなければと、その時決心した」。マルカンさんは高校生だった当時を振り返る。

理解されず■

 帰国後は広島から持ち帰った本や資料を使い、高校などで原爆被害の惨状を伝える交流会や討論会を開いた。が、生徒たちの心には思うように届かなかった気がするという。彼の説明だけでは理解されず「核兵器はパキスタンから身を守るために必要だとの反応が返ってくることもよくあった」と残念がる。

 マルカンさんが受けた最大の影響は、同世代のパキスタン人との交流だ。「広島に行く前はパキスタン人は敵だと信じ込んでいた。でも会って話をするうち、敵どころか友人になった」。ただその体験を話しても直接パキスタン人との交流がない友人たちにはなかなか通じない。

 「頭が柔軟な十代の時に被爆地に行って、パキスタンの若者と交流する体験は本当に効果的」と、マルカンさんは取り組みの継続を願う。

 そして自ら体験した伝えることの難しさから、メンバーに提案もした。「核戦争の被害を実感してもらうためには被爆前、直後、現在の三つの写真を用意して視覚的に訴えたらいいのでは…」

活動を継続■

 一行はもう一人のプロジェクト参加者に、ムンバイ市内の平和活動家の事務所で会った。市内の高校に通うシャノア・シルバイさん(16)。マルカンさんと同じ〇一年に広島を訪問。当時十二歳だった。

 「私は人と人とのつながりで、政府の考えを変えることもできると信じています」。シルバイさんはしっかりとした口調で言った。

 彼女は帰国後間もなく感想文にこう記した。「このプロジェクトが何度も続けられれば、子どもたちの間にたくさんの絆(きずな)が生まれ、国境によってそれを裂くことができなくなる。広島で学んだメッセージを一人でも多くの人に全力で広めたい」

 シルバイさんも学校で広島について話すなど、今も活動を続けている。被爆者の岡田恵美子さん(68)がこれまでの旅を振り返り、心配そうに尋ねた。「インドの人ははっきり自分の意見を言う。主義主張がぶつかり合って理解を得るのが難しくないですか」

 「その時分かり合えなくても、かえって冷静に考え直すこともできます。まず話す機会を持つことが大切です」と、シルバイさんは岡田さんを見つめて答えた。

 被爆地で市民がまいた平和の種を育て続ける二人の若者。再会したジョーセフさんは「うれしい」と言い、「やはり継続的な取り組みが求められている」と繰り返し口にした。

(2005年3月23日朝刊掲載)

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