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連載・特集

広島世界平和ミッション 第六陣の横顔 <2> スティーブ・コラックさん(49) 広島市佐伯区藤の木

核の悲劇 母国で訴え

 米国イリノイ州のシカゴ郊外で生まれ育った。高校卒業まで、外国人に出会った経験はなかった。が、国際的な気風の強い大学に入学し、留学生との親交から海外で暮らす進路を模索。米国YMCAに入った。

 初の赴任地は熊本県。日本での暮らしは二十八年になる。

 原爆との「真の出会い」は、長崎YMCAに赴任した一九七九年。来日二年目だった。「それまで広島のきのこ雲は写真で見ていた。でも、雲の下の惨状は、まったく知らなかった」と流ちょうな日本語で振り返る。

 初めて訪れた長崎市の原爆資料館。涙が止まらなかった。「ここが痛かった」と胸をなでる。思い出話をしながら、目を赤くうるませた。

 一発の爆弾が引き起こした悲劇への驚き、悲しみ。「自分の母国がそんなことをしたという無念さ」も心に迫ってきた。

 「長崎に落とされたのは広島とは違うプルトニウム爆弾。二発目の目的は絶対に実験だった」。そう信じるだけに、原爆投下を正当化する米国人の論理には怒りが込み上げる。

 二十年住んだ長崎では、海外から訪れる市民グループを対象に、原爆や平和をテーマに研修会を企画する役目も負っていた。

 体験を聞いた多くの被爆者のだれもが「長崎を最後の被爆地にしなければ」と願っていた。米国への怒りや復讐(ふくしゅう)の念を超えた姿に「和解」の意味を知った。

 九九年に広島に赴任。毎年八月六日前後には、国内外から集まった若者のための平和セミナーを開く。

 今、母国は危うい道に向かっているとみる。二〇〇一年の米中枢同時テロ以後、米国人は自分の身の安全への不安を膨らませている。「それを解決してくれそうな人物として、ブッシュ大統領を支持しているのだろう」

 確かにテロは大きな問題である。だが「対テロを名目とした戦争はかえってアラブ諸国の人々の憎悪を高める」と懸念する。

 テロ組織や「ならず者国家」を視野に入れた自国の小型核兵器の開発にも納得できない。「他国の核開発を否定しながら、新たな核開発を進めるのは矛盾している」

 二つの被爆地で得た経験から思う。「今こそ広島、長崎を伝えなくては」。熱い思いを胸に、平和ミッションのメンバーとして母国を巡る。

(2005年3月23日朝刊掲載)

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