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連載・特集

『生きて』 ミカサ前社長 佐伯武俊さん(1939年~) <10> タイ工場

信頼関係築き品質安定

  ≪2003年、社長に就くと難題が待ち構えていた。為替対策のため稼働させたばかりのタイ工場では、期待したような品質のボールが造れなかった≫

 会社を立て直さないといけない。生き残りを懸け、ミカサを何とかしないといけない―。就任時は、そんな思いでいっぱいだった。会社を存亡の危機に陥れた円高を回避するには、タイ工場の安定稼働が欠かせない。けれど現実は、不良品のボールが積み上がっていたんだ。日本より暑く、湿度も高くて毎日が梅雨のよう。そうなるとゴムの性質が急速に変わってしまってね。そもそも日本でだって「同じ(品質の)ボールを造るのは月に行くくらい難しい」と言われる。環境の違うタイで技術を伝えるのには時間がかかった。

 ≪痛感したのは、従業員の信頼関係の重要さだった≫

 技術はもちろん大事だけど、現地に行ってもらう指導者を選ぶときはしっかり考えないといけない。信用される態度や言動というかね。現地の社員の結婚式に呼ばれた人もいる。そういう関係を築くことで一体となって働くことができるんだ。

 現地から本社に来てもらって数カ月の講習を受けてもらうこともあった。合間には厳島神社や三滝寺にも連れて行く。仕事ばかりじゃなくて一緒に行動することで気持ちを通わせることができたのかなと思うよ。

 ≪タイ工場は徐々に品質が安定していった。12年には、海外2カ所目となる工場をカンボジアに設けた。同国に中国地方の企業が進出するのは初めてだった≫

 国内外からタイにもどんどん企業が進出し、人件費が上がりだした。これはいかんのう、と。それで新しい工場の建設地を模索した。初めはラオスが候補に挙がったけれど遠い。諦めないといけんかのうとなったときにタイが台風に襲われて、ミカサの工場がある工業団地が水に漬かった。やはり危機管理の面でも、工場が1カ所ではいけない。そこでカンボジアが浮上した。見学するとタイとの国境近くのココン州という場所に良い土地が見つかった。港からいろんな物を運ぶこともできる。それでこの場所にしようということになったんだ。

(2022年1月29日朝刊掲載)

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