『書評』 近代を彫刻/超克(ちょうこく)する 小田原のどか著
22年1月31日
受容の歴史たどり思索
美術関係の取材を担当していた頃、「彫刻」とは不思議な言葉だと、常々思っていた。目の前に並ぶ立体作品は、彫ったり刻んだりしたものばかりではないのに、なぜこれらは「彫刻」と呼ばれるのだろうと。
彫刻とは何か―。本書はそんな問いに向き合い続けてきた彫刻家の著者が、それを存分に論じた一冊だ。
美術史や作品批評の書ではない。著者は「彫刻を『思想的課題』として提示することを目論んだ」と高らかに表明している。
そもそも「彫刻」という言葉は、19世紀に西洋から入ってきた技術<sculpture>の訳語だという。「日本が近代を指向したために生まれた」がゆえに、極めて「政治的な産物である」と著者は説く。その受容の近現代史をたどりながら思索を重ねていく。
例えば、人をかたどった像は「為政者の威光をとどめておくため」や「共同体における事物の記念」として公共空間に立つ。政体や社会が変化すれば「民衆の手で引き倒され」もする。
近年では、米国で「ブラック・ライブズ・マター(黒人の命も大事だ)」の声とともに、彫像が破壊されたり撤去されたりした。
ただ、こうした彫刻の拒絶は今に始まったことではあるまい。本書では、軍国主義から平和の象徴へと造り替えられた「平和の群像」や、学園闘争のさなかに引き倒された「わだつみの声」像にも目を向ける。社会の「共同想起の装置」ともなり、さまざまな困難を抱えてきた彫刻の歩みを、丁寧に読み解いていく。
結局、彫刻とは何なのか。著者は「見る者たちとその時代を鏡映しにするもの」だと結論付ける。解釈や評価が時代を経て変わっていくのはそれを見ている「われわれ」が変わっていくからにほかならないと。
平時には目を向けられることもない彫刻が、拒絶によって「発見」され、「超克の標となる」との指摘には大いにうなずける。本書の読後は、路傍の彫刻を素通りできなくなる。(森田裕美・論説委員)
講談社・1430円
(2022年1月30日朝刊掲載)