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連載・特集

広島世界平和ミッション インド編 非暴力の行方 <8> メディア取材 生放送で「体験」訴える

 「毎朝、新聞開くのが楽しみじゃね」。ムンバイのホテルのロビーで、ミッション第五陣メンバー五人が現地の英字新聞を開く。原爆で廃虚となった広島の写真を手に、核兵器廃絶や和解を訴えるメンバーの活動内容が大きく紹介されている。

 インド滞在中、多くのメディアから取材を受けた。根強い核抑止論が存在する一方で、取材陣の熱心な仕事ぶりからは、被爆者や平和ミッションへの関心の高さがうかがえた。

 行く先々に現れて、空き時間にメンバーをつかまえてはインタビューを試みるテレビ局などもあった。「被爆者ら広島市民が今、インドで何を訴えたいのか興味深い」と、ホテルを訪ねた新聞記者のプラチ・ジャタニアさん(26)は注目する。

急きょ出演■

 取材のハイライトは、インドでの活動も終わりに近づいた金曜の午後に訪れた。メンバーは滞在先のホテルの一室に集まって、テレビ画面に見入った。

 「ああ岡田さんじゃ」「すごい堂々としとるね」。画面に映し出された彼女の姿に、思わずメンバーから声が上がる。岡田さんはインド国営放送「ドゥルダルシャン」ムンバイ放送局のテレビスタジオで、生放送の対談番組「アムチェ・パウネ(私たちのお客さん)」にゲスト出演していた。

 四日前、一行はそろって同放送局を訪ねた。取材を受けると聞いていたが、ディレクターと話すうちに急きょ岡田さんの生放送出演が決まったのだった。

 「アムチェ・パウネ」は、十八あるインドの主要言語の一つで、ムンバイなどマハラシュトラ州を中心に使われる「マラティ語」による人気番組。約一億人の視聴者を対象に放映されるという。

 放送当日、ホテルに残った四人は、タレントでも応援するような気持ちで、画面の岡田さんの姿をデジタルカメラで撮影したりしながら見守った。スタジオのテーブルに並ぶカラフルな折り鶴は岡田さんの即席の演出だ。

 番組は、アナウンサーのインタビューに答える形式で進んだ。岡田さんは自身の被爆体験や原爆被害の概要、平和ミッションの趣旨、平和のシンボルである折り鶴と白血病で亡くなった佐々木禎子さんの関係などについて簡潔に説明していく。

 持ち時間は十五分。通訳を挟みながら限られた時間で、いかに効果的に思いを伝えられるか。本番前の岡田さんには気がかりだった。

 インドでこれまで受けた取材では、常に被爆体験について聞かれ、答えてきた。そのたび「六十年前にあった過去の出来事で終わらせたくない。核の被害や拡散が続く世界で、現在、未来につながる問題として、特に若い世代に伝えたい」との思いが募っていた。

手取り合い■

 岡田さんは最後にその思いを熱っぽい口調で視聴者に語り掛けた。「私たち被爆者は高齢化し、体験も語れなくなります。どうかインドやパキスタン、そして広島をはじめ日本の若い人同士が手を取り合い、引き継いでいってほしい」と。

 番組が終わると同時に、四人から拍手と歓声が起きた。岡田さんと同じほどにホッとし、より多くのインド人に「ヒロシマの願い」が伝わったに違いないと思えたからだ。

 広島修道大四年の佐々木崇介さん(22)は「テレビ越しの訴えが、私の胸にも届いた」と感想を語り、「インドでできた友人たちと一緒に平和について考え、広めていきたい」と、岡田さんの言葉を受け止めていた。

(2005年3月25日朝刊掲載)

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