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連載・特集

広島世界平和ミッション 第六陣の横顔 <4> 前岡愛さん(20) 広島市東区牛田中出身

同世代に痛み伝える

 「家族に被爆者を持つ広島の若者として、語り継がれた痛みを伝えることができるのでは…」。出発を前に期待と不安が交錯する。

 広島市で生まれ育ち、中高校時代は平和学習も受けた。原爆について「自分では十分認識していたつもり」だった。

 ところが津田塾大(東京都)の英文科に入学した二年前の夏、ゼミの担当教授が広島を訪れ、案内することに。一緒に平和記念式典に参列。原爆ドーム周辺を歩き、原爆資料館を見学した。

 「でも案内するうちに情けない気分になった」と打ち明ける。原爆がもたらした破壊の実態や被爆者の苦しみなどについて「問題意識があまりに希薄で、無関心だと気付いた」からだ。

 身近に被爆者はいた。幼少のころ、父方の曽祖母の左腕にケロイドが残っていたのを記憶する。父親の両親と両祖父母は被爆者だった。が、今は六人とも逝(い)った。

 「もっと話を聞いておけばよかった」。自省の念から昨年の八月六日は、父親に頼み式典や祖母の出身校である広島市立第一高等女学校(現舟入高校)の慰霊祭に共に出席した。「被爆者や遺族の消えぬ心の痛みに衝撃を受けた」と言う。

 同じころ、サンフランシスコに暮らす米国生まれのいとこと、米大統領選について話した。会社員の彼は「イラクの変革には武力行使しかなかった」と、ブッシュ政権が始めたイラク戦争を肯定した。ショックだった。

 「生きるために生まれてきた人間の命を奪う戦争は肯定できない」と思う。だが、彼の言い分を頭ごなしに否定してもいけないと感じた。「異なる意見に耳を傾けなければ、議論も始まらない」と思うからだ。

 イラク戦争と同じように、米国市民の間には原爆投下を肯定する人たちも多いだろう。

 「核兵器や戦争に反対する私の意見を米国人に分かってもらうのは難しいかもしれない。でも、そう考える若者がいることを知ってもらうところから始めたい」

 米国内で幸せに暮らしていると「外の世界が見えなくなるのではないか」と思う。いとこが肯定する米政権は今、国際社会の批判にさらされることも多い。「自分の周りだけでなく、客観的に自国を見て、と同世代の米国人に訴えたい」

 その言葉はまた、自身を含め「自国を見つめる」日本の若者への呼び掛けでもある。(おわり)

(2005年3月26日朝刊掲載)

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