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連載・特集

『生きて』 ミカサ前社長 佐伯武俊さん(1939年~) <12> ボール開発

表面のくぼみに独自性

  ≪かつて白かったバレーボールは1998年、3色のカラー化を実現した。2008年の北京五輪には、表皮パネルを8枚に減らし、小さなくぼみ「ディンプル」を施した新開発の「MVA200」を投入した≫

 伝説のボールというか、画期的なボールになった。色は黄、青、白から、黄と青の2色に。選手、観客が見えやすいようにこだわってね。曲線は細かいちょろちょろしたんじゃなくて、大きく。色も鮮やかにしてチカチカしない線や色合い。ロゴマークはごく控えめにした。

 見た目だけじゃない。国際バレーボール連盟から「力だけでなく選手の技術が生きるボールを作ってほしい」とのリクエストがあって、バレーボールでは初めてディンプルを施したんだ。表面に無数の小さなくぼみを作る加工のことで、触った感覚が良くなり、軌道も安定する。

 だけどボールを変えることにいろんな声はあった。ミュンヘン五輪などで日本代表監督だった松平(康隆)さんも最初は「変えん方がええ」って言っていたけど、北京の会場で試合を見て「躍動感を感じる。英断だったね」と声を掛けてくれた。自分もそのとき「これはいいじゃない」と思ったね。

 ≪トップ選手向けの開発の一方で、誰もが安心して使えるボール作りにも力を入れた。ディンプルの採用には原体験がある≫

 ミカサの社長に就いて間もないころ、徳山曹達(現トクヤマ)時代の上司に会いに行った。その時、障害があって車いすバスケットをしている上司の息子から「優しいボールを作ってほしい」と言われたんだ。あるとき工場のサッカーボールに手を触れると、「優しいというのはこれだろうか」とひらめいた。そのボールがディンプルだったんだ。

 共同で開発をしていたクラレ(東京)に相談して、ディンプルのバスケットボールを作った。当初は反響がなかったけれど、東広島市であった障害者のバスケットボール大会にそのボールを贈ると、評判が広がった。握りやすさが好評だったみたいよ。今は、ハンドボールやビーチバレー、ドッジボールなどでディンプルの採用が増えた。「優しい」という言葉がなければ気付かなかった。

(2022年2月2日朝刊掲載)

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