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連載・特集

広島世界平和ミッション パキスタン編 希望の灯 <6> 絵画交流 筆運び 「憎まぬ心」学ぶ

 「さあ始めよう」。約一万六千人のアフガニスタン難民が暮らすイスラマバード郊外にあるミスキーナバードキャンプ内の学校。画家のファウジア・ミナラさん(42)が、鮮やかな水色の布(縦一・五メートル、横三メートル)を、ビニールシートの上に広げた。

小さな学校■

 幼い子ども四人が布の上にあおむけに寝て、年上の児童たちがひとがたを鉛筆でなぞる。そのひとがたに色を塗るのだ。

 雨よけ程度の屋根に、むき出しの壁。五十平方メートルにも満たない校庭。キャンプ内の小さな学校は、国連教育科学文化機関(UNESCO)が運営し、七―十六歳の約二百五十人が通う。

 一九七九年の旧ソ連のアフガン侵攻、内戦、そして二〇〇一年の米中枢同時テロ後の米軍などによる空爆…。八〇年代から多くの難民が隣国パキスタンに流入。このキャンプにも一番多い時で十万人以上が暮らしていたという。キャンプで生まれ、母国を知らない子どもも多い。

 学校の監督官ハビブラ・ガーワルさん(49)は母国を離れて十六年。医師として首都カブールの病院に勤めていた際は、多くの子どもが戦争の犠牲になるのを見てきた。

 「母国はまだ十分安全とは言えない。新たに家族を呼び寄せる者もいる」。ガーワルさんは、子どもたちの絵作業を見守るミッション第五陣メンバーに実情を語った。国際機関などの支援は今ではアフガン国内に移行。「パキスタンになお多くの難民がいるのを忘れている」と嘆く。

 ペシャワル郊外の難民キャンプに、小規模医療施設の建設を計画している市民団体代表の渡部朋子さん(51)。自らの活動を通じてそのことを実感しているだけに「気持ちがよく分かります」と声を掛けた。

 教育面の支援も急務とガーワルさんは言う。「いかに教育するかで、テロや暴力も起こり得るし、逆に防止もできる。子どもたちに体で平和の尊さを学ばせてくれるこの絵画交流はありがたい」と目を細めた。

癒やし必要■

 教員のナジア・ポパルザイさん(19)も、ミナラさんが隔月程度に訪れるのを楽しみにしている。「科目ではなく、憎まない心を教えるのが私の仕事。子どもたちに一番必要なのは癒やしです」

 ポパルザイさん自身、内戦で父親を失い、九歳でカンダハルからここに来た難民だ。女性の労働が禁じられたタリバン政権下。家族は生活に困窮し、住まいも失った。今、母親と三人の弟を養う。昔のことは思い出したくないという。

 「ほら、見て」。ポパルザイさんは、赤茶色に濁ったタンクの水を飲む子どもを指した。キャンプの衛生状態は極めて悪い。

 被爆者の岡田恵美子さん(68)は絵を描く輪に入れない子どもたちと一緒に、準備した紙をその場で張り合わせ、巨大折り鶴を作り始めた。その向こうで、ミナラさんが子どもたちと絵筆を動かす。

 彼女は、ミサイルや戦車のモニュメントを見て育つ子どもたちに、平和や異文化理解、友愛の心を教えたいと、平和絵本なども出版している。

 「私には家もあり、愛する家族もいる。でも同じ国にそうでない人たちがいる。文字は書けなくても絵なら楽しんで、元気を引き出せるはず」。難民キャンプで絵画交流を始めた動機を語る。

 「手伝って」。ミナラさんがメンバーを呼んだ。子どもたちが日本人を描くのだという。岡田さんと広島修道大大学院生の佐々木崇介さん(22)が和服を描いた。

 布のキャンバスには、違う人種の四人が手をつないでいた。パキスタン人と日本人、欧州とアフリカの人だという。

 「完成よ」。笑顔の子どもたちを見つめるミナラさんの額に汗が光った。

(2005年4月16日朝刊掲載)

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