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連載・特集

『生きて』 ミカサ前社長 佐伯武俊さん(1939年~) <14> 100周年

記念誌で道のり伝える

  ≪本社工場の移転を終えた2014年暮れ、約12年務めた社長を次男の祐二さんに譲り、会長に就いた≫

 本社工場が完成すると、ここに決まって良かったのうと、やりきったような気持ちになった。体力的な衰えもあるし、コンピューターにも明るくない。辞めた方がいいかと思ってね。後継者を誰にするか。前から考えていて社外から誰かを連れてこようと。奥さんの実家の会社で働いていた祐二に就いてもらった。

 ≪17年、ミカサは創業100周年を迎えた≫

 会社の歴史は山あり谷あり。道のりは決して平たんじゃなかった。それでも100周年を迎えられて良かったな、よく耐えたなとそんな感覚だった。

 そんな中、社内で記念誌を作ろうという声が出た。つらい時期もあったから最初は乗り気ではなかったけど、どんな時にどんな対応をしたか、そんなことを伝えられるようにしようと思い立った。とにかく目で見て分かりやすくするため、資料や写真を集められるだけ集めた。かつての社員に手記もたくさん寄せてもらった。急なお願いでも、すぐに了解してくれた。みんな人情のある人ばかりだなって思ったよ。

 かつて広島市民球場にあったミカサの広告看板の写真を記念誌に入れてるんじゃけど、これはたまたま見つけてね。(広島原爆被爆者療養研究センター)神田山荘に行ったとき、そこでやっていた写真展で飾ってあった。ソフトボールの看板が右翼スタンドに掲げられていて、小さくミカサの文字もあった。市民球場に大きな看板を出す会社だったんだなと思ったね。今ならあんなに大きいのは難しいかもしれないけど。

 ≪19年10月、A4判182ページの創業100周年記念社史を発行した。編集後記には「今からこのミカサの未知なる行程を歩まねばならない人たちに、少しでも参考になれば」と思いをつづった≫

 会長時代の大仕事だった。500冊くらい印刷したかな。営業の人やOBに配ったらほとんどなくなった。読んでいると物語があったんだなと改めて思う。いろんな人との関係があってここまで来られた。支えられていることを実感します。

(2022年2月4日朝刊掲載)

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