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広島世界平和ミッション パキスタン編 希望の灯 <7> 変わる民意 和平求める心 芽生える

 パキスタンでの活動最終日。ミッション第五陣メンバーは、ラホール中心部から車で約四十分のワガ国境に向かった。そこでは毎夕、印パ両国が国旗降納のセレモニーを開く。

 ワガで落ち合った「平和と民主主義を求めるパキスタン・インド人民フォーラム(PIPFPD)」の地元有志五人が案内してくれた。

 同フォーラムは一九九四年、「民間レベルから信頼醸成を築こう」と、両国の有識者らで結成された。人権活動家や医師、ジャーナリストらが集まり、核やカシミール問題から文化・経済交流の促進に至るまで幅広く対話を重ね、両政府に政策指針も提示している。

 二枚の鉄扉で閉ざされた国境には、既に市民や外国人観光客が集まっていた。鉄扉の両側には、それぞれ観客席が設けられている。

国境で式典■

 セレモニーが始まると、両国の国境警備兵が互いに扉の向こうの相手を威嚇するように勇ましく行進した。観客席から大きな歓声が上がる。やがて国旗が降ろされると門が開き、両国兵士が形式的に一瞬の握手を交わす。両側から再び歓声と拍手が起きた。

 結成当時からフォーラムの活動に携わる非政府組織代表のムハマド・サフダさん(42)は「互いを威嚇して愛国心をあおるセレモニーだ。これでも十年前より随分ましになった」と一行に話した。

 フォーラムでは過去六回、双方のメンバーがワガ国境を行き来した。かつては一触即発で、市民が近づけない雰囲気だったという。サフダさんは「威嚇ではなく、両国の友好と平和のセレモニーがここでできるようになれば…」と願う。

 国境からラホールに戻った一行は、フォーラム創設者の一人、元財務大臣のムバシ・ハッサンさん(83)を自宅に訪ねた。彼は七一から三年間、ブット政権で財務大臣を務めた。在任中に軍の予算要求を拒否したこともある。退任後は軍事政権下で四度逮捕され、拷問も受けた民主化の闘士だ。

 「ここでは大統領も首相も力を持っていない。だから簡単に追放される」。パキスタンでは大英帝国植民地下のインドから分離独立以来、軍事クーデターや汚職など政治腐敗による政権交代が続く。ハッサンさんはそれを「カラデオのしわざ」にたとえる。

 カラデオは、問題が起きると自分の意のままに人を殺すこともできる大きな力を持ったヒンズーの神の名だ。彼はその言葉に、封建領主や軍部などが、自己の利益のために大統領や首相の頭をすげ替え、政治を動かしてきた母国の社会体制への痛烈な批判を込める。

 一方で最近は、市民の間に変化も生まれているという。この日朝、ハッサンさんは外交官ら元政府要人たちとの会合に出席した。現役時代はタカ派だった彼らは、会合ではインドとの和平の必要性を説いた。「退職後に市民と触れ、現実が見えたのだろう。平和を求める庶民の声は一段と強まっている」と語る。

 メンバーが変化の理由を問うと、「市民が何より実感として、対立や戦争より平和を求め、政治を信用しなくなったからだ」と力を込めた。

教育を提言■

 熱心にメモを取っていた東広島市職員の中谷俊一さん(37)が顔を上げて尋ねた。「市民に芽生えた変化で、社会全体に教育が行き届くよう軍事費を教育分野に回す新たなシステムはつくれないものでしょうか」。パキスタンを旅し、市民と対話を重ねるうちに、インドとの和平や核兵器廃絶を実現するには「教育」が鍵だと感じたからだ。

 ハッサンさんは、しばらく考えて答えた。「非常に難しい…。だが今の状態は長くは続かないだろう。変化は、市民の若い力によってもたらされる。私もまだ、たったの八十三歳ですからね」。そう言って、パキスタンをたつメンバー一人一人の手を強く握りしめた。

 文・森田裕美 写真・山本誉

 =パキスタン編おわり

(2005年4月19日朝刊掲載)

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