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連載・特集

広島世界平和ミッション 第五陣メンバー座談会 国情に応じた訴えを

 広島世界平和ミッション(広島国際文化財団主催)の第五陣メンバーは一月二十四日から三週間余、互いに核兵器を保有して対立する南アジアのインドとパキスタンを巡った。原爆被害の実態などを伝えながら、インドでは市民から核兵器保有に対する考えを聞き取った。パキスタンでは、民主主義とはほど遠い国家体制の中で、反核・平和活動に熱心に取り組む市民らと、核兵器廃絶に向けた取り組み方などについて議論。国情や相手に応じた「ヒロシマ」発信の重要性をあらためて学んだ。参加メンバーに旅の印象や成果、今後の抱負などについて語ってもらった。<文中敬称略>(平和ミッション取材班)

出席者

被爆者                    岡田恵美子さん(68) 広島市東区
「アジアの友と手をつなぐ広島市民の会」代表  渡部朋子さん(51)  広島市安佐南区
東広島市職員                 中谷俊一さん(37)  三原市本郷町
広島修道大大学院生              佐々木崇介さん(22) 広島市安佐南区

聞き手

中国新聞特別編集委員 田城明

インドの現実

軍備の裏で貧困深刻 中谷さん

被爆の恐怖 認識薄い 岡田さん

  ―初めて訪れたインドの印象はどうでしたか。
 岡田 大国でありながら、交流先に行く道中、必ず貧困層の姿も見かけ、終戦間もない広島を思い出した。

 中谷 確かに、貧困は目についた。街に出れば繁華街の裏にはスラム街があり、この国が本当に核兵器を持っているのだろうかとさえ思うこともあった。膨大な軍事費を費やす国家の裏に、最低限の生活に苦しむ人たちがいた、というのが実感だ。

 佐々木 そう。国家予算を核兵器開発に使っている場合ではないような気がした。

 渡部 でも、日本人の価値観と論理だけで貧困をとらえて、反核を訴えても駄目だと思った。インドは本当の意味で大国。多様性があり、奥深かった。貧困は肯定できないけれど、私たち自身がもっとインドを理解しなくてはいけない。

  ―インドでは核兵器廃絶には賛成しながら、自国の保有は認める意見が多かったですね。市民と対話を交わして、どう感じましたか。
 岡田 一九七四年にインドが初めて原爆実験をした時、政府が「平和目的」との見解を示した。今でも一般の市民は「平和のため」と信じている人が多く、核被害の恐怖はあまり知られていなかった。

 中谷 特に貧しい人たちは、核兵器が良いか悪いかの知識も判断力も得られないのではないか。万人が物事を理解できるように教育の機会を与える必要性があると感じた。

 佐々木 私は大学で国際政治を学んで、インドの核保有は主に「対中国」のためだと理解していた。しかし、実際に市民にとっての脅威は中国ではなく、曖昧模糊(あいまいもこ)としていて、「自国を守るために保有する」という意見が多かった。背景には、インド人の中に「われわれは大国として認められていない」という意識があるような気がした。

 渡部 私は平和活動家の中にも自国の核保有に肯定的な人がいたのには驚いた。そうした人たちにいかに持たない選択をしてもらうかが、今回の私たちのチャレンジだったように思う。

  ―対話を通じて希望も見いだしましたね。
 佐々木 英国植民地から非暴力抵抗主義でインドを独立に導いたガンジーの国で、核兵器を保有するのは私にとってすごく不思議だった。でも、一方でガンジーの精神を引き継いで平和活動をする人たちと出会ったのは救いだった。

 岡田 議論をしてすぐに答えは出なくとも、相手が変わるきっかけになるといいなと思い、被爆体験を伝え、「核兵器を持つことが平和ではない」と訴えた。伝えるたびに相手の変化を感じられる瞬間があった。

 また、パキスタンに行く前に、学生たちにパキスタンの若者へのメッセージを呼び掛けたらすぐに応じてくれ、感動した。私は折り鶴を手渡したり、筆ペンで平和のメッセージを書き残したりして帰った。彼らが大きくなった時、その時のことを少しでも思い出してもらうきっかけになればと願っている。

パキスタンの現実

広島への期待感じた 佐々木さん

平和活動家は命懸け 渡部さん

  ―インドと同じように、パキスタンでも原爆被害は知られていなかったのでは…
 中谷 教科書にも取り上げられているそうだが、十分には知られてないと感じた。

 渡部 これまでもアフガン難民支援活動などでパキスタンを訪ねたが、現地の人たちから「核兵器は相手の兵士だけを殺す兵器だと思っている」と聞いて衝撃を受けた経験がある。でも私は現地で極力、広島の被害について自分から話さないようにしてきた。隣国と一触即発関係にあるような核保有国で、いきなり「核兵器は悪だ」と話すのは、火の中に飛び込むようなものだから。

 佐々木 そんな状況の中、平和ミッションが出かけたことは、少しでもヒロシマに触れてもらう種まきになったと思う。旅の途中で「あなた方はここに来ている場合じゃない」とか、「まず日本政府に働きかけろ」とか、「米国にこそものを言え」とか批判も受けた。でも、それは広島が期待されている裏返しだと思った。

  ―パキスタンでは、現国家体制下で核兵器廃絶を訴える難しさを平和活動家らがもらしました。どんな印象を持ちましたか。
 中谷 行き来が難しい印パ両国で、草の根から関係を変えていこうという「平和と民主主義を求めるパキスタン・インド人民フォーラム」の活動に感動した。政府を動かすのは難しいが、こうした両国の市民活動はやがて政府を動かすきっかけになるだろう。

 渡部 イスラム原理主義者らの妨害に遭いながら、命を懸けて長年平和活動をしている人たちに会い、私たちも渾身(こんしん)の力で取り組まなくてはと刺激を受けた。

 岡田 宗教と政治が密着し、凝り固まった相手の考え方を変えるのは大変難しいと感じた。しかし、人々と接しながら、本音と建前に触れ、人間同士の対話で距離が近づく機会は何度もあった。

アピールの手法

主張押し付けは禁物 渡部さん

被爆地での学習有効 中谷さん

  ―やはり広島・長崎の被害や核兵器廃絶の思いを効果的に伝えるには、国情なりを踏まえて接する必要がありますね。
 渡部 その通り。大国のパワーゲームにほんろうされ、貧困など今まさに悲惨な問題を抱えている人々に、頭ごなしに被爆地の主張を押しつけても駄目だと思う。

 広島から来た一庶民として「彼らの悲惨」についてまず聞こうと、胸に飛び込んでいった時に相手にも影響を及ぼせるのではないか。伝えることは相互作用であると、強く認識した。

 中谷 自分たちの足元の問題もある。広島でさえ、被爆体験の継承は薄らいでいる。逆に印パの人たちから憲法改正の問題や、平和教育の取り組みが弱まっていることへの懸念も上がっていた。

 体験継承はもちろん、私たちが被爆地の足元を見つめ、具体的な問題への「ヒロシマの意志」を明確にして、世界にアピールしていかなくてはいけないのではないか。

 佐々木 同感だ。被爆地だけでなく、被爆国を標ぼうする日本が核兵器廃絶を訴えるのであれば、単に国連などでアピールするだけでなく、国際社会が納得するような非核に向けた具体的取り組みが必要だ。核問題やイラク問題など日本政府がどういう政策を取っているか印パの有識者や若者は冷静に見ている。

 渡部 一方で個人レベルでも、私たち自身の経験や実践に裏打ちされたものがなければ、いくら知識だけで訴えても相手の心に届かないなと感じた。例えば「核兵器は絶対悪」というのは私たちにとって自明の理かもしれない。でも相対的に核兵器をとらえ、相手との関係で共通項を見つけていくところにエネルギーを使わなくてはいけない。

  ―と言うと?
 渡部 つまり国際政治の中で相手がどういう立場にあるかを考慮する必要がある。例えば、印パにとって核兵器保有が「国際政治のバランス」を保つ上で重要だという。ならば手放すにはどうすればいいか、具体的なプロセスを広島から提案してはどうだろう。

 中谷 南アジアの非核化を目指して取り組もうとしている人から、非核地帯を実現するために「日本政府にも働きかけてもらえないか」と言われた。日本にも、実現にはほど遠いが、非政府組織(NGO)などによる北東アジアの非核地帯構想もある。こうした構想を積極的に進めれば、説得力も増すのではないか。具体的な取り組みに率先して参加するなど自分にもできることはあると感じた。

 渡部 考えさせられたのは、パキスタンで熱心に平和活動に取り組んでいる人たちから「私たちは二十年間精いっぱいのことをしてきたが、これから何をすればいいだろう」と、私たちに具体的な提案を求めてきたことだ。それは逆に言えば、広島の私たちがパキスタンの人たちと深くかかわれる点だと思う。口先で情緒的に反核を訴える仲介者では何もならない。

 中谷 強く印象に残っているのは、広島の市民団体の招きで被爆地で平和学習した印パの若い世代の存在だ。彼らは帰国後も身近な所からヒロシマの体験を伝えていたし、互いにインターネットで交流を続けていた。こうした取り組みを継続、実践することが現地の人々の期待に応える道だと思う。

ミッション終えて

運動と研究両立する 佐々木さん

まいた「種」育てたい 岡田さん

  ―平和ミッションの体験を、今後にどう生かしますか。
 佐々木 今回の旅では、私自身は発信するよりもむしろ、現地の人たちからたくさんのことを教えてもらった。また、住む国が違っても同じ志を持つ同世代と会えて勇気づけられた。今も交流を続けている。

 一方でパキスタンでは「あなたに何ができるか」と聞かれ、何も答えられなかった。今はとにかく自分にやれることから実践してみようと、帰国後は反核・平和を訴える市民活動の実行委員に加わったりし始めた。大学院生として、核問題をローカルな視点とグローバルな視点を重ね合わせながら、学問としても究めていきたい。

 岡田 インドとパキスタンで種をまいてきたので、今度は広島から彼らが必要としている資料や情報を送ったりしながら、しっかり育つように協力していきたい。自然体で被爆証言活動や原爆資料館のピースボランティアをしながら、互いに信頼をはぐくむという印パで学んだ大切さも伝えている。

 中谷 憎しみを捨て復興を遂げた歴史が広島にはある。時流や国情に合った映像などの視覚教材を提供するなどして交流を続けたい。例えば、原爆のドキュメンタリーフィルムをつくる運動を、一九八〇年代の「10フィート運動」の時のように広島から展開するのもカンフル剤になるかもしれない。

 顔を突き合わせて、人と人とが具体的な問題を議論するのは、印パの活動家たちの取り組みから得たヒントでもある。そのためには第五陣の仲間だけでなく、一―六陣までミッションに参加した仲間が連携しながら、国内でも顔を突き合わせられる仲間を増やしたい。

 渡部 庶民の知恵を結集したい。広島だけでもたくさんの市民が、平和や核兵器廃絶、海外協力などさまざまな取り組みをしている。

 そうした市民が大同団結して相互に作用できるのではないか。異なる部分を排斥する運動ではなく、共通の具体的な目的に向かって包み込むようにまとまりながら、国内外でいろいろなチャンネルを使ってヒロシマの精神を伝える努力をしたい。

  ―佐々木さんは、五月にニューヨークの国連本部で開かれる核拡散防止条約(NPT)再検討会議にも、市民の一人として参加されるそうですね。
 佐々木 はい。ミッションの体験を生かしてヒロシマの願いを多くの人々に伝え、同時に学んできたい。

(2005年4月22日朝刊掲載)

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