×

連載・特集

広島世界平和ミッション 米国編 第1部 アフター9・11 <6> イラク戦争帰還兵 劣化ウラン被害訴える

 ニューヨークの小さな劇場を再利用した集会所に、約七十人の話し声が響く。ミッション第六陣の訪問を機に、地元の平和団体関係者が集まった夕食会。にぎやかな雰囲気の中、同市ブルックリン出身のイラク戦争帰還兵三人とメンバーは一緒にテーブルを囲んだ。

戦車の残骸■

 アンソニー・フィリップさん(42)は二〇〇三年四月から八月末まで、軍警察の一員として、イラク南部の四都市を巡った。サマワでは、廃虚の鉄道駅で寝泊まりした。砂嵐の翌朝は、体中が砂に埋まっていたという。

 風上の数キロ離れた砂漠地帯に、戦車の残骸(ざんがい)がたくさん放置されていた。「きっとそこから風で運ばれてきた劣化ウランの微粒子を砂と一緒に吸ったんだ」

 劣化ウラン(U238)は主としてアルファ線を放出する放射性物質。毒性の強い重金属物質でもある。しかし、米軍はどこで使用したかなど事実を一切明かしていないので、確かめるすべがない。フィリップさんは「オランダ軍がいったん、近くに宿営地を構えたが、放射能汚染の実態を知って移動した」とうわさでは聞いたという。

 彼の帰還後に陸上自衛隊はサマワへ。「自衛隊の宿営地の正確な位置は分からない」としながらも、「サマワは汚染がひどい」と自衛官たちの健康を案じる。

 というのも、フィリップさんはサマワに駐留を始めた一昨年夏から、めまい、背中の発疹(ほっしん)、足のむくみに襲われた。同じ部隊の仲間の一部も、この時期に発症しているという。

 軍病院の検査結果は「異常なし」。が、帰国後は不眠症、抑うつ、消化器の不調も加わった。地元新聞社の勧めで再度、民間病院で受診した結果、尿の中から劣化ウラン弾の原料とみられるウラニウムが検出された。

 「劣化ウラン弾について、事前に何の注意も受けていなかった」と怒りをぶつける。砂嵐を防ぐマスクすら支給されなかった。帰国前、上官が「むこう三年間子どもをもうけず、十年間献血するな」と命令した。

 フィリップさんは「不安に思ったが、命令を問い返さないのが軍隊のルール。いまさら追及もできない」と肩を落とす。現在も国家警備隊に所属し、傷病兵として治療を受ける。

長女に障害■

 「娘は将来、いじめられるかもしれない。でもそれが彼女のせいじゃないことを理解させるためにも、劣化ウラン弾の危険性を訴え続ける」。同じ帰還兵のジェラルド・マシューさん(30)も自国政府に憤りを向ける。

 昨年六月に初の子どもが生まれた。待望の長女の右手は指が一本しかなく、手のひらの大きさも通常の半分ほど。マシューさんは劣化ウラン微粒子を体内に吸入したせいだと確信している。

 彼は〇三年四月から九月まで、輸送トラックの運転手としてクウェートのドーハへ派遣された。イラク南部の基地まで物資を運び、使用済みの兵器や壊れた部品を持ち帰った。

 頭痛が始まったのは、派遣された二週間後。体調不良で帰国が許可される直前は、毎朝顔が別人のように腫れ上がった。

 妻の妊娠中、医師が娘の手の異常を見つけた。医師はマシューさんが何かに汚染されているのではないかと推測。尿検査の結果、やはりウラニウムが検出された。

 「おれたちは大量破壊兵器を見つけるためにイラクへ行った。でも、劣化ウラン弾こそが大量破壊兵器だった」とマシューさん。これから帰還する兵士にも「たくさんの被害者がいる」と、政府に情報開示や前線の兵士の保護、疾病帰還兵への補償を求めている。

 被爆者の村上啓子さん(68)は「これから何年も、彼らが被爆者と同じ苦しみを抱えていくのは悲しい。米国が核兵器や劣化ウラン弾のような放射性物質を使った兵器を率先して捨てるよう働き掛けを強めたい」と決意を新たにした。(文・岡田浩一 写真・松元潮)=米国編第1部おわり

(2005年6月4日朝刊掲載)

年別アーカイブ