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知られざるヒバクシャ 劣化ウラン弾の実態 第1部 超大国の陰 米国 <4> 遅れてきた戦死者 8年間の痛みの果て 究明を待たず自殺

 「最近になってようやく心の落ち着きを取り戻せた感じ。でも、夜になるとね…」。昨年九月に二男のジェーソンさんを失った母親のジーナ・ウィットコムさん(51)は、職場の一室で、今は亡き息子の写真を見つめた。

 オクラホマ州の州都オクラホマシティー。人口約六十万人の街の中心部に、ジーナさんが勤める銀行はあった。

 「高校を卒業したばかりのジェーソンが、陸軍入隊のために家を出たのが一九九〇年八月六日。十七歳の彼が、一年後にはつえを使わないと歩けないなんて夢にも思っていなかったわ」

数カ月で体調激変

 空てい部隊に配属され、九一年一月、サウジアラビアへ。会社員の夫のジムさん(55)とともに息子を迎えたのは、本国帰還時に休暇で戻った四月初めだった。「その時も頭痛や関節の痛みは訴えていたの。外見は以前と少しも変わらなかったのに」と、ジーナさんは振り返る。

 七月半ばになって、ノースカロライナ州の基地に息子を訪ねた夫妻は、自分たちの目を疑った。一八三センチ、八〇キロあった筋肉質の体はやせ細り、足をかばうように歩いた。三カ月余で息子の健康状態は激変していた。股(こ)関節や足の痛み、胃腸障害、激しい頭痛など症状は時とともに悪化し、九二年四月、四年の契約を待たず除隊した。

 「当時は何が原因か、全く分からなかった。劣化ウランなんていう言葉を聞くようになったのは随分後のことよ」

 ジーナさんによると、ジェーソンさんの部隊の任務は、主としてイラク軍が砂漠に設けた武器弾薬庫を破壊することだった。化学兵器も含まれていたらしい。劣化ウラン弾で破壊されたイラク軍の戦車、トラックなどが散乱する汚染地帯にも足を踏み入れた。十分テストもされていない、抗化学兵器剤の臭化ピリドスチグミン(PB)も強制的に取らされた。

「原因はストレス」

 「除隊一カ月後の五月に、地元の退役軍人病院を初めて訪ねたの。医師は、息子の年齢で『そんな病気になるはずはない』と、精神治療を始めた。ストレス、ストレス…最初はこればっかりよ」

 むろん、ジェーソンさんの病気は精神治療で治るはずもなく、九四年からは車いす生活に。化学物質にも敏感な反応を示した。やがて人との接触を避け、高校時代から知り合いのショーンさん(26)とその年に結婚したのを機に、隣のアーカンソー州の自然動物保護区へ移り住んだ。

 「美しい自然と澄んだ空気。そこでのボランティア活動をとても気に入っていたの」。一方で自分の病気の原因を突き止めるために、血液検査など全米各地のさまざまな研究プログラムにも加わっていたという。

突然、26歳の若さで

 前向きな生き方をしていたジェーソンさん。が、九九年九月二十四日、突然の死が訪れる。けん銃によって二十六歳の若い命は散った。

 「遺書があったわけではないので、偶発的な事故だった可能性もあるの。でも、検視では自殺ということになっているわ」

 ウィットコム夫妻は、息子の死が自殺だとすれば、頭痛や関節炎、腹痛など、八年間耐えてきた体中の痛みが極限に達したためだと自分たちを納得させている。死亡後、肺などの組織を研究機関にも送った。

 「既に亡くなったジェーソンや一万人の湾岸戦争退役軍人には遅すぎるけど、少しでも原因究明に役立てばと思って」

 原因が分かれば治療法が見つかるかもしれない。しかし、それまでにもジェーソンさんのように「遅れてきた戦死者」の数は、まだまだ増え続けるのだろう。

(2000年4月7日朝刊掲載)

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