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連載・特集

知られざるヒバクシャ 劣化ウラン弾の実態 第1部 超大国の陰 米国 <6> 看護兵 前線従軍 免疫性失う 「癒し」求め敵国訪問

 ジョージア州の州都アトランタから北東へ車で約二時間。キャロル・ピクーさん(43)の家は、トコア町のはずれの丘の上にぽつねんと立っていた。

テーブルに並ぶ瓶

 「どう、いい眺めでしょう。ここなら空気も汚染されていないしね。私の体のために、三年前にルイジアナ州から家族で移ってきたの」。ピクーさんは、四方に広がる遠くの山々に目を移しながら言った。

 古い農家を改造した平屋建て。部屋に案内され、テーブルに置かれたおびただしい数の薬瓶に目を奪われていると、「驚いた? でも、それは薬じゃなくて各種のビタミンや天然のミネラルよ」と、一つひとつ手にして説明してくれた。

 一九九九年四月から、フロリダ州の開業医にかかり、「ホメオパシー」と呼ばれる自然の治癒力を生かした治療法を採り入れているのだという。食品も有機野菜を中心に有機食品しか口にしない。「私の体は化学薬品や劣化ウランなどで汚染され、免疫性を失っていたの。昨年の四月までは足も立たなかったのに、今では軽い運動ができるまでになったのよ」

 十六歳からモデルをしながら、二十二歳で「国のために」と陸軍に飛び込んだ。九一年の湾岸戦争時は、米軍の医療研究機関がそろうテキサス州サンアントニオから「戦闘支援病院」のベテラン看護兵として、夫のアンソニーさん(41)と一人息子のピアース君(13)を残し、従軍した。

激戦地通過し治療

 地上戦(二月二十四日~二十八日)が始まると、三百人収容の野戦用ベッドを半分にし、隊員も半分の百五十人に絞って前線へ。最も激しい戦闘があった「死のハイウエー」を通過しながら、そのそばに野戦病院を設営。友軍の誤射で負傷した米兵、投降したイラク兵、戦闘地域に住むイラクの住民ら、病院を訪ねた全員の治療に当たった。

 「一方で殺しながら、他方で助ける。矛盾を感じながらの仕事だったわ。特にむごい死体には、医療従事者としていたたまれなくて…」。当時の写真を示しながら、ピクーさんは深いため息をついた。

 部隊は戦闘終結後も、四月初旬までイラク南部に駐留した。しかし、既にその時にはピクーさんの下半身の筋肉は機能しなくなり、失禁するようになった。胃腸の働きもほとんど止まった。

 化学戦に備え強制的に取らされた大量の臭化ピリドスチグミン(PB)、生物兵器用のワクチン、毒性の強い劣化ウラン粒子の体内への吸入…。四月下旬にサンアントニオに戻った時は、甲状腺(せん)機能を失い、避妊手術も受けざるを得なかった。九二年からは、カテーテルを使っての排尿が続く。

 「病気の原因を突き止めるために、会社勤めの夫と蓄えていた貯金もすべて使い果たした。軍がしてくれたことは、おむつを支給してくれたぐらいよ」

 同じ隊の百五十人のうち約四十人が重い病気を抱え、既に十人以上が死亡しているという。

度重なる嫌がらせ

 九五年に除隊。事実を覆い隠そうとする国防総省や退役軍人省に対する批判的な活動のために、盗聴をはじめさまざまな嫌がらせを受けてきた。が、決して屈することはなかった。

 「私は医師と同じように命を救う看護婦という立場にありながら、破壊をもたらす戦争機能の一部だった。今は残された人生を破壊ではなく、癒(いや)しのために使いたいの。この体では大したことはできないかもしれないけど…」

 九七年と九八年にイラクを訪ねたピクーさん。体調が許せばもう一度訪問し、イラク人と心を通わせたいと願う。

(2000年4月9日朝刊掲載)

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