×

ニュース

県被団協出版「空白の十年」 生きた証しを刻む 寄稿者・平野さん

■記者 東海右佐衛門直柄

 県被団協(坪井直理事長)が7月末に出版する被爆者の手記集「空白の十年」。手記を寄せた一人、平野貞男さん(76)=広島市安芸区=は「最も苦しい時期だった」と語る。

 平野さんの手記はこう始まる。「被爆後の10年間は『ケロイド人生』だった。頭、右耳、右ほお、首、両手、背中、両足にケロイドが醜く残り、呪(のろ)われたように日夜痛む」-。

 あの日、県立広島商業学校に在学中だった平野さんは爆心地から2.2キロの皆実町で建物疎開の準備中に被爆。何千ものカメラのフラッシュを集めたような薄紫色の光に包まれた。気が付くと、全身が燃えるように熱く、両腕の皮膚が手からぶら下がっていた。

 戦後は、進駐軍の清掃アルバイトで家計を助けた。体は手足、背中、頭など約25%がケロイドで覆われ、何度も皮膚が裂けた。「重いものを持つと裂けて血が出る」-。湯の中で手をもみほぐし、痛みに耐えた日々を記す。

 観音高を卒業し、1951年に信用金庫に入った。「当時は就職難。落伍(らくご)せぬようやっとの思いでついていくことだけが精一杯だった」。集金に出ると、両腕に視線が集まるのを感じ、気がめいった。  「ビリでもいい。社会に出たら体力をつけて必死に周りに食らいつけ」。そう励ましてくれた高校時代の恩師の言葉が忘れられない。以来、60年近く1日20回の腕立て伏せを続ける。

 「あの10年は被爆者にとって最も孤独でつらかった。必死に生きた証しを多くの人に読んでほしい」。平野さんの切なる願いだ。

空白の十年
 県被団協(坪井直理事長)が、被爆者の組織が存在せず、行政の援護策がほとんどなかった戦後の1955年ごろまでを指して呼ぶ。手記集は一昨年夏に執筆を呼び掛け、71人分を収録。高齢化が進む中、県被団協は「数十人以上の手記集の発刊はおそらく最後」という。「空白の十年」について7000人から回答を得た2006年のアンケートの結果も掲載。約2000部発行する。

(2009年6月6日朝刊掲載)

関連記事
「空白の十年」来月出版へ 広島県被団協が手記集(09年6月 5日)

年別アーカイブ