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連載・特集

知られざるヒバクシャ 劣化ウラン弾の実態 第2部 裏庭の脅威 米国 <3> 30歳の死 娘と同世代、がん多発 独自の調査 限界も

 薄暗い森の中の通りを抜け、しばらく走ると目指すジャネット・ケナリーさん(66)の家はあった。

 「わざわざ広島からですか…」。玄関で迎えてくれた彼女は、差し出した名刺をまじまじと見つめながら、シャンデリアの光に照らされた食堂のいすに腰を下ろした。

 「実はね、ダイアンの死のことは、ここ何年か人に話していないの。素人ではいくら調べてもスターメッツ社と娘の死の因果関係は立証できないものね」。ケナリーさんは、長い間封印してきた思いをぽつりぽつり打ち明けた。

通り別 丹念に記入

 「ほら、これが私が調べた近所のがん患者の実態よ」。テーブルに広げたB4判の用紙三枚。「がんの発症・コンコード在住十年、もしくはそれ以上」と題した記録には、がんの種類、発症年、年齢、死亡の有無などが通りごとに区分され、丹念に記入されていた。

 ケナリーさんの住む一角は、マサチューセッツ州コンコード町のほぼ南端中央部。南西端にあるスターメッツ社(旧核金属社)の風下約三キロに当たる。「私たち家族がここへ移ったのは一九六六年。長女が四歳、がんで亡くなった二女が三歳、長男はその年にここで生まれたの」

 周りの家々も、ほぼ同じころに建てられた。彼女が調べた十七の通りを合わせても百世帯に満たない。その中で九七年までに、五十四人のがん患者を確認した。「一番不思議なのは、私と同じ通りに住む七世帯の間に三人が二十代で、一人が三十代でがんにかかったの。うち三人は肺がんよ」。ケナリーさんはリストの最初に記載したオールデン通りの記録を指さした。

本格生産と重なる

 一方が行き止まりの短いオールデン通りは、交通量が少なく、子どもたちの格好の遊び場だった。子どもたちの成長期は、スターメッツ社が、七〇年代に入って劣化ウラン弾の貫通体の生産を本格化する時期と重なる。

 スターメッツ社が劣化ウランのスラッジ(汚泥状の廃物)、汚染水を投棄して敷地内の地下水や土壌を汚染したように、煙突群などから劣化ウランの微粒子が飛び出し、敷地外の表土を汚染していたこともはっきりしていた。

 例えば、ニュージャージー州の汚染土壌専門の研究所が九四年に実施した調査結果。それによると、社の敷地のはずれから三百~千三百メートルの六カ所の測定地点で、この地域の自然値(一ピコキュリー)より最高一八・九倍の劣化ウランが検出された。ニューヨーク州では、劣化ウラン微粒子が工場から約四十キロも離れた所で見つかってもいた。

 「ダイアンが肺がんだと診断されたのは八六年、二十三歳の時よ。看護婦だったから『喫煙もしない自分が二十代でなぜ肺がんに…』って、随分自問していたわ」。最後まで気丈だったダイアンさんだが、九三年十月、肝臓へがんが転移し、息を引き取った。

 ケナリーさんがスターメッツ社に疑問を抱き始めたのは、二女の死から二年後の九五年。地元紙がコンコードのがん罹(り)患率の高さを報じた時だった。「娘の死の原因を突き止めて無念を晴らしたい」。そんな思いから調査は始まった。

不快感示す入居者

 しかし、新しい入居者の中には調査に不快感を示す人もいた。「そんなことをすれば家を売る時の価格が下がるってね…」

 失望が重なるにつれ、ケナリーさんの調査への気力もなえた。「でも、がんにかかった肉親を持つ家族の多くは、心の底でスターメッツ社に疑念を抱いていたわ。口に出さない人も含めてね」

 久方ぶりにダイアンさんの死や思い出を口にしたケナリーさんは、別れ際にぽつりと言った。「原爆投下は広島の人たちに大きな苦しみを与えた。きっとその人たちなら、私の気持ちを分かってもらえるかしら…」

(2000年4月26日朝刊掲載)

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