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知られざるヒバクシャ 劣化ウラン弾の実態 第2部 裏庭の脅威 米国 <8> 工場閉鎖 「粒子」が40キロ以上飛散 今も除染作業続く

 「ここが工場の閉鎖跡だよ。今も除染作業が続いている」。核科学者のレナード・ディーツさん(77)の指さす向こうには、フェンス越しに、うずたかく積まれた土が夕日にシルエットをなしていた。

 敷地内ではなお六、七人の作業員が、深く掘り起こした個所の土壌をショベルカーでかき集めている。東南の方角に目をやると、近くにニューヨーク州の州都アルバニー市の高層ビルがそびえていた。

 アルバニーと境界を接するコロニー町の工場跡には一九八〇年初めまで二十年余り操業を続けたナショナル鉛産業会社(NLI)があった。空軍との契約で三〇ミリ砲の劣化ウラン弾の貫通体や、劣化ウランの重い比重を利用した飛行機の平衡錘(すい)が生産された。

放出源すぐに把握

 「私たちは七九年に、この工場の十マイル(十六キロ)先のモニター用エアフィルターから、劣化ウラン粒子を発見した」。コロニーから北西へ約二十キロ。シュネクタディ市の自宅に戻ったディーツさんは、自らまとめたリポートを手に説明を続けた。

 当時ディーツさんは、ジェネラル・エレクトリック(GE)社の放射線問題専門の上級研究員。GEが運営する海軍のノールズ原子力発電研究所(シュネクタディ市)に籍を置き、周辺の海軍施設の放射線レベルを質量分析計で測定していた。ノールズ研究所では劣化ウランを使っておらず、NLIが放出源であることはすぐにつかめたという。

 「五カ月間いろんな地点でチェックした。一番遠くは北西二十六マイル(四一・六キロ)でも粒子が見つかった。円形やそうでない粒子もあるけど、長さは千分の一ミリの四~六マイクロメートル。呼吸と一緒に体内に入り込む大きさだよ」

海軍に調査書提出

 ディーツさんによれば、これ以遠にモニター装置がなかっただけで、風などの条件で粒子はさらに遠方へ飛散するという。彼は調査データをリポートにまとめ、八〇年一月に海軍へ提出した。

 そのリポート提出から二週間とたたない二月初旬。ニューヨーク州政府は、NLIに操業停止を命じた。ディーツさんらとは別に、州環境保全局も独自に工場敷地外の放射能値を測定。一月の劣化ウラン放出値が、州基準(一五〇マイクロキュリー)の五倍にも達していた。

 「劣化ウラン量は、州基準で三百八十七グラム。NLIは恒常的にもっと多くのウラン微粒子を放出し続けていた」とディーツさん。

100億円以上費やす

 NLIは最終的に八三年に閉鎖された。翌年、除染費用の肩代わりを目的に、工場や敷地をエネルギー省(DOE)へ十ドルで売り渡した。建物の解体など本格的な除染作業が始まったのは九六年。「これまでに除染費用だけで一億ドル(約百七億円)以上使っている。みんなの税金からね」

 八三年に退職するまで、ディーツさんには海軍以外に情報を提供する権限はなかった。彼のリポートが工場閉鎖に関係したとは思わないという。が、その調査がきっかけで、ディーツさんの劣化ウラン弾への関心が高まった。九一年、湾岸戦争で劣化ウラン弾の使用が伝えられると、地上戦開始(二月二十四日)前の二月初め、専門誌でいち早く抗議の意思を表した。

 「劣化ウランの量は、三〇ミリ砲で約三百グラム、一番大きい一二〇ミリ砲だと約四・七キロもある。三〇ミリ砲二個分ほどでアメリカ市民の健康を守るために工場を閉鎖したんだよ。どうしてそれがイラクやクウェートだと百万個もの使用が許されるというのかね…」

 人柄そのままの穏やかな口調。数字を挙げての専門家の説明には、限りなく説得力があった。(田城明)=第2部おわり=

(2000年5月2日朝刊掲載)

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