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沖縄特攻の戦死者 刻銘を 「平和の礎」 広島県出身者分申請へ

戦艦大和乗組員ら 300人該当か

 太平洋戦争末期の沖縄戦で亡くなった人の名を刻む「平和の礎(いしじ)」(沖縄県糸満市)に、関連の特攻作戦で戦死した戦艦大和などの乗組員の多くが刻銘漏れになっているとして、広島経済大名誉教授の岡本貞雄さん(69)たちが広島県を通じた追加刻銘の申請を目指している。岡本さんは「今年は沖縄の日本復帰50周年。沖縄戦に関わって命を落とした一人一人に思いをはせるきっかけにしたい」と語る。(道面雅量、湯浅梨奈)

 これとは別に広島県は昨年12月、県出身の船員軍属39人を追加刻銘するよう沖縄県に申請している。物資輸送中などに殉職した人で、刻銘漏れに気付いたのは、戦没者の遺骨収集ボランティア南埜(みなみの)安男さん(57)=那覇市。親交のあった岡本さんに協力を求め、岡本さんが広島県に働き掛けた。この調査の過程で、大和の乗組員たち洋上で戦死した軍人にも多数の漏れがあるのが分かったという。

 岡本さんによると、大和乗組員を中心に、県出身者だけで約300人の名が漏れているとみられる。沖縄県は例年、「慰霊の日」(6月23日)を前にした6月中に追加刻銘をしており、既に今年分の確認作業に入っている。岡本さんは「今年には間に合わないとしても、働き掛けを急ぎたい。広島からの発信で他県にも動きが出ることを期待したい」と話す。

 大和は、米軍が沖縄に上陸して間もない1945年4月6日、現周南市沖から巡洋艦や駆逐艦を従えた計10隻の艦隊で沖縄へ向かい、翌7日、鹿児島県南西沖で米軍機の猛爆などを受けて沈没した。僚艦5隻も沈んだ。作戦は「沖縄特攻」と呼ばれ、計4千人余りが戦死したとされる。

 岡本さんは追加刻銘に向け、大和とゆかりの深い呉海軍墓地顕彰保存会(呉市)に協力を依頼。副理事長の竹川和登さん(77)たちが応じた。会が保管する各艦の戦死者名簿は以前の作戦分も含み、沖縄特攻に限らないため、岡本さんが別の資料と照合し精査を進めている。近く、名簿を広島県に提出する予定だ。ごく一部、既に刻銘されている人もいるという。県援護課は「沖縄県と協議しながら手続きを進めていく」としている。

平和の礎
 国籍や軍人・民間人の別を問わず、沖縄戦で亡くなった全ての人々の名前を刻む刻銘碑。太平洋戦争・沖縄戦終結50周年を記念して1995年に建設された。現在の刻銘総数は24万1632人。

(2022年2月17日朝刊掲載)

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