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連載・特集

知られざるヒバクシャ 劣化ウラン弾の実態 第3部 汚された大地 米国 <1> 暴露 放射能兵器を試射 内部告発受け確信

 米国内の軍需工場で生産された劣化ウラン弾は、威力を試したり、質の向上などのために各地の試射場で実射される。古くなった放射能兵器は、他の兵器と同じように廃棄の運命にある。湾岸戦争退役兵、生産現場周辺の取材に併せ、試射場や廃棄場のある現場を訪ねた。どの地域の人々も直面している環境汚染や健康被害…。住民たちは、事実を覆い隠そうとする当局の厚い壁を前に、困難な闘いを続けていた。(田城明、写真も)

 「もうここからは立ち入り禁止の所だ。前の山が試射場だよ」。黒い帽子にサングラス姿のダマシオ・ロペスさん(56)は、慎重にハンドルを切りながら言った。「いつ監視の車がきても不思議じゃない。カメラ撮影は車内からだけだ」

侵入阻む有刺鉄線

 ニューメキシコ州立工科大学付属のエネルギー物質研究試験センター(EMRTC)本部建物前で、車をUターンさせる。ロペスさんは監視車がいないのを確認すると、潅(かん)木の茂る悪路をしばらく走り、試射場のはずれの木陰に車を止めた。

 崩れやすい山の斜面を登ること五、六十メートル。高台から下を見ると、有刺鉄線が張り巡らされ、「立ち入り禁止」の看板が立てられていた。東方に目をやると、三キロほど先に人口八千人のサッコロ市の家々が砂漠地帯の平原に張り付いていた。

 ニューメキシコ州の中心都市アルバカーキ市から南へ百二十五キロ。一九四五年七月十六日の人類初の核実験が実施された「トリニティ・サイト」からは、北西へ五十キロ足らずである。

 「自分の生まれ、育った家は試射場に一番近い所にある」と、ロペスさんは自宅の方を指さした。

 元プロゴルファーで、今は非政府組織の活動を続ける彼は、先住民を先祖に持つスペイン系である。貧しさから逃れるため十七歳で空軍に入隊。除隊後の六五年、二十二歳で大学に入り、ゴルフクラブでプレーをするうちに腕を磨き、六九年にはプロの道へ。八五年までトーナメントなどに参加していたが、交通事故に遭ったその年の暮れに療養のため故郷へ帰った。

強い衝撃 壁に亀裂

 「年が明けてしばらくすると、すさまじい爆発音を立てて実験が始まった。衝撃で家の壁に亀裂が入るほどさ」。驚いたロペスさんは、管理責任を負う大学の運営委員会の席で実験の中身を問いただした。「単なる通常兵器の実験にすぎない」。これまでだれも声を上げなかった疑問に大学側は戸惑いながらも、こう質問をかわした。

 それから数週間後。ロペスさんの元に、試射場で働く地元の従業員から数個の段ボール箱が届けられた。「実験場使用に当たって、大学と劣化ウラン弾製造企業とが交わした数量や金額に関する契約書などがいっぱい詰まっていたよ」

学長の侮辱で決心

 放射能兵器と知ったロペスさんは、証拠を示しながら実験の中止を求め直接当時の学長と掛け合った。すると学長は、色をなして答えた。

 「どうしたというのかね、君。depleted uraniumという英語が理解できないんだろう。depletedつまり放射能なんて含まれていないんだ。全くの無害だよ。英語の勉強をしなおすんだな」

 日本語で「劣化」と訳されている「depleted」という英単語には「消耗した」「中身が空っぽの」という意味が含まれている。多くのアメリカ人は、その言葉を耳にすると、ウランではあっても「人体には無害」と受け止めるようだ。

 しかし、ロペスさんにとって学長の言葉は、アメリカ社会の中で常に差別されてきた先住民やスペイン系住民への「侮辱」以外の何ものでもなかった。

 「学長の言葉が私の人生を変えたと言っても過言じゃない」。人体への影響など劣化ウラン弾の実態を調べるロペスさんの一歩は、そこから始まった。

(2000年5月14日朝刊掲載)

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