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連載・特集

知られざるヒバクシャ 劣化ウラン弾の実態 第3部 汚された大地 米国 <2> 少数派住民 生活防衛 口つぐむ 被抑圧の歴史映す

 ニューメキシコ州サッコロ市のメーンストリートに沿って並ぶファミリーレストランの一つ。前日、ニューメキシコ州立大学付属のエネルギー物質研究試験センター(EMRTC)の試射場現場を案内してもらったダマシオ・ロペスさん(56)と、遅い朝食についた。日曜の朝とあって家族連れらでにぎわっていた。

リークの後で解雇

 「センターで働いている知人がいるから紹介しよう」。ロペスさんはそう言って、食事中の三十がらみの男性の席へ向かった。「こちらは広島からきたジャーナリストだ。よかったら食後にでもセンターのことを話してくれないか」。もう一人の従業員と一緒だった彼は、突然おびえたような表情を浮かべ、手を横に振って拒絶の意思を表した。

 「彼は大学を卒業して三年目にようやく今の仕事を得た。職を失うかもしれない危険は冒せないんだよ」。席に戻ったロペスさんは、貧しい地域の事情を説明した。人口八千人の過半数は、アメリカ社会では少数派のスペイン系である。一九八六年春、試射場での劣化ウラン弾の使用文書を彼にリークした十数人の従業員の多くは、解雇されていた。

 交通事故を契機に故郷に戻り、劣化ウラン弾の実射試験を知った元プロゴルファーのロペスさん。「古里の自然や住民が危険にさらされているのを看過できない」と彼はその後、大気中や試射場の放射能汚染データの開示を州環境保護局に求めるなど、活発な活動を繰り広げた。

帰宅中襲われけが

 だが、環境保護局はサッコロ市に設置していた大気モニターを撤収。のちに出されたデータは「安全基準内で問題なし」だった。

 事実を隠そうとする当局に対し、ロペスさんは政治を通じて劣化ウラン弾の影響を明らかにし、テストの中止を図ろうと、その年の秋の市長選に向け、七月に出馬を表明した。ところが、八月半ばの夕刻、自転車で帰宅しているところを何者かに襲われる。

 「家のすぐ近くでね。茂みから飛び出してきたらしい。五、六時間後に気づいた時は、病院の手術室だった」。右側頭部に深手を負ったうえ、ろっ骨や足の骨がいくつも折れていた。通りがかった看護婦が道路そばの溝に自転車ごと落ちているロペスさんを見つけ、病院へ運んだ。彼の顔や体には、ウイスキーがたっぷりとかけられていた。

がんなど疾病増加

 実射試験の中止を求めるロペスさんや一部の住民の取り組みにもかかわらず、テストは続いた。が、湾岸戦争が終わって二年後の九三年、大学側は「試射場での劣化ウラン弾の使用を中止した」と公表した。

 「仮にそれが事実だとしても、七二年から続いた実射試験による汚染問題は残ったまま。州政府や大学側は何の問題もないと言い続けているけど、試射場はもちろん、地下水汚染が進んでいる可能性が高い」と、ロペスさんはみる。

 七年前にがんで亡くなった彼の父親をはじめ、白血病などさまざまながんや、先天性障害を抱えた新生児の誕生も増えているという。「多くの住民があちこちで言っていることだよ。しかし、実態を調べようとすると、みんな口をつぐんでしまう」

 長年にわたって抑圧され、これまで声を上げることで一度も実利を得たことのない住民たち。彼らは「沈黙」することで、地域での職場の確保など、目前の利益を守っているのだという。

 「私にはみんなを責めることはできない。ただ、人々の命を守り、汚された大地から本当の自然を取り戻すために働き続けるだけだよ」

 十四年間、劣化ウラン問題を追い続けてきたロペスさん。彼は今、九八年秋に生まれたイラク人らも加わる市民組織「国際劣化ウラン研究チーム」の有力メンバーとしても活動する。

(2000年5月15日朝刊掲載)

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