×

連載・特集

知られざるヒバクシャ 劣化ウラン弾の実態 第3部 汚された大地 米国 <4> 核依存体質 州、大学・企業後押し 監視機能が働かず

学内でも情報統制

 真っ青な空、乾いた空気、温暖な気候、広大な大地…。こんな自然を求めてニューメキシコ州に移り住む人も少なくない。

 「私たちもここの自然は大好きよ。でも、人口が少なくて土地が広いから、原爆製造のマンハッタン計画以来、いろんな核関連施設ができたでしょう。その分、目に見えない放射能が多いのが気になるわね。サッコロだって安心できないのよ」。弁護士のエレイン・マーさん(68)はそう言って、大学教授で夫のエリオット・ムーアーさん(63)を見やった。

 サッコロ市内のほぼ中心部にある夫妻の自宅。広い中庭、ニューメキシコ独特の赤土でできた大きな家。二人に促され、食堂の席に着いた。

 「ここの住民が、身近に放射能の脅威にさらされるようになったのは一九七二年。ニューメキシコ州立大学付属の試射場で、劣化ウラン弾の実射試験が始まってからだよ」。宇宙物理学者で、自らも同大で教えるエリオットさん。学内の彼でさえ、八〇年代後半まで劣化ウラン弾の実射試験を知らなかったという。

 「エネルギー物質研究試験センター(EMRTC)のスタッフだけが、武器開発にかかわっている。部署が違うと分からない」と、エリオットさんは学内での秘密性の高さを嘆いた。

実物の戦車も標的

 副学長のバン・ロメロさん(44)とのインタビューについて触れると、夫妻は思わず白い歯をのぞかせた。

 「劣化ウラン弾のオープンエア・テストの意味を、発射用ガンからキャッチボックスへ至るまでの飛行状態をさすという解釈は何ともユニークね。しかし、最初からキャッチボックスを使っていたという説明と同じように、全く事実と違うわ」とエレインさん。

 地元有志でつくる市民組織「私たちの山を救おう」のメンバーでもある二人は、かつて試射場で働いていた人たちの証言や、情報公開法で得た公文書から多くの事実をつかんでいた。

 「少なくとも七〇年代に行われた実射試験では、何の遮へい物もなかった。文字通りのオープンエアよ。実物のM60戦車も標的に使われている。しかも試射場の中でも、町に一番近いテスト場でね」

 妻の言葉を引き継ぐように、エリオットさんが続けた。「当初の試験は劣化ウラン弾の弾頭が、弾道スピードの違いで標的にどれだけ衝撃を与えるかを知るのが中心だった。この時に大量の劣化ウラン粒子が発生する。作業員をはじめ、われわれ市民がどれだけその粒子を吸引したかは分からない」

 八〇年代に入り、遮へい用にキャッチボックスが使われるようになったかもしれないという。しかし、その時でも煙が上がり、それと一緒に劣化ウラン粒子が大気中にいくらでも飛散したとみる。

財団法人隠れみの

 九一年の湾岸戦争のころには、大学内の財団法人と試射場の使用契約を結んだ劣化ウラン製造企業が盛んに実射試験を繰り返した。

 「大学はプライベートである財団法人を利用して企業との契約内容を隠す。企業は大学の自治を隠れみのに劣化ウラン弾実射に伴う環境への影響を一般に公表しないで済ませる。州政府がそれを後押しする。まっとうなチェック機能がどこにも働いていないのよ」

 州政府・大学・企業-。エレインさんは、その関係を弁護士らしく理路整然と説いて見せた。州の体質には、ロスアラモス国立研究所をはじめ、長年「核翼賛体制」に依存してきた経済体質があるとも指摘する。

 大学側は九三年に劣化ウラン弾の使用を中止したという。「でも、五十八トンの劣化ウランの保有は、今も許可されている。使用してもその分を埋め合わせることができるのよ」

 エレインさん夫妻の大学への不信は、物言わぬサッコロ市民の思いを代弁していた。

(2000年5月17日朝刊掲載)

年別アーカイブ