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連載・特集

知られざるヒバクシャ 劣化ウラン弾の実態 第3部 汚された大地 米国 <6> 武器廃棄所 処分量「湾岸戦争」の20倍 爆破音に住民不安

 ネバダ州リノ市から北西へハンドルを切り、カリフォルニア州境を越えて三十分余。ハニー湖に面した小さな町ミルフォードに着くと、あらかじめ連絡していたポール・ビーチさん(51)とパートナーのキンバリー・ラモスさん(46)がジープを止め、道路端で待っていてくれた。

 「初めてだと、家の入り口が分かりにくいんだ」。長いひげを伸ばしたポールさんが、親しみを込めて言った。人口わずか九十人。一九八一年、投資家の彼は美しい自然と静寂を求め、サンフランシスコから移り住んだ。キンバリーさんとは六年前から暮らす。

「静寂なんてない」

 未舗装の坂道を上り始めて約百メートル。車から降りた二人は道端の高台に立ち、遠くを指さした。「ほら、湖の向こうの、ちょうどこの先がシエラ陸軍武器貯蔵・廃棄所だ。ここの施設のために静寂なんてあったものじゃない。最近になって劣化ウラン弾の廃棄まで分かったんだ」

 ポールさんによると、この軍施設では古くなったり、余ったりした兵器など年間三万九千トン以上の武器関連物質が、爆破されたり燃やされたりして処分されるという。既に三十年以上続いており、国内の基地の統廃合が進んだ九五年ころから目立って回数が増え、爆破規模も大きくなった。

 「十二マイル(一九・二キロ)も離れているし、黒い煙が上がっているだけの時は、あまり気にとめていなかったの。それが、九五年十月のことよ。猛烈な爆破音がして、地震の時のように家が激しく揺れて…」

家の壁にひび割れ

 二人の家は、そこから二キロ近くも山道を走った所にあった。家の壁には、今もあちこちにひび割れが残る。「修理に一万ドル(約百七万円)以上かかったわ。それでも三年越しの裁判では、軍の非が認められなかったのよ」。悔しそうに彼女は言った。

 多いときは一日で二十八回も爆破が続いた。翌年から上空へ舞い上がる煙をビデオに収め始めた二人は、その煙がきのこ雲状をなして四方に広がっていることに気づいた。

 「きっと汚染物質も拡散しているに違いない」。軍の説明が信じられず、判決後にリノに住む環境活動家と連絡を取るようになった二人は昨年十月、その活動家から何枚ものファクスを受け取った。米原子力規制委員会(NRC)が同施設に出した劣化ウランの廃棄を認める許可証のコピーである。

 それによると、八一年九月三十日までを有効期限とした最も古いものでは最大二千二百五十七トン。その後五千トンに増え、九七年三月三十一日までの有効期限のものには二五二〇キュリー(約六千五百一トン)と放射能の強さで記されていた。湾岸戦争中に米・英軍が使用したとされる三百二十トンと比較すると、最近の量は二十倍にも達する。

 ポールさんは、すぐにラースン郡の中心地スーザンビル町で開かれた郡行政委員会の席上でその文書を紹介した。五人の委員をはじめ、州や郡の環境保護局のスタッフ、約五十人の住民も、その事実を知らなかった。

がんなど疾病多発

 「みんな本当に驚いたよ。劣化ウランの性質について、まだ知らない者もいたけどね」。人口二万五千人のラースン郡では、がんなどの疾病が異常に多いなど、既に住民の間で武器貯蔵・廃棄所の存在が大きな問題になっていた。

 後日、ポールさんらが契約の内容について軍にただすと「廃棄はしていない。他の施設へ移した」との回答だけが返ってきた。

 「施設の性格を考えれば、そんなことを信じる者はだれもいない」「そうよ。化学物質や放射性物質を、湖や周辺にまきちらしているに違いないわ」。軍への不信をこもごもに口にする二人の視線は、松林の間からはるか下方に見える美しい湖に注がれていた。

(2000年5月19日朝刊掲載)

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