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被爆れんが壁 悲劇の証人 工場建て替えでモニュメントに

 段ボール容器製造の桐原容器工業所(広島市中区舟入南4丁目)が、広島市の被爆建物に登録されていた工場の建て替えに当たり、れんが壁のモニュメントを作った。同社の経営者が「原爆被害を後世に伝えよう」と部分保存を決めた。(田中美千子)

 同社の正門付近に設置したモニュメントは縦横が各約100センチ、奥行き約45センチ。3月の工場解体時、れんが壁の一部を切り取って移設した。台座に被爆状況の説明文と解体前の写真のパネルをはめ込んだ。

 同社は創業2年後の1902年に現在地に移転。爆心地の南西約2・4キロに位置する。社員に原爆の犠牲者はいなかったが、工場施設の多くは爆風で倒壊。れんが壁は屋根が吹き飛ばされながらも残った倉庫の一部だった。

 倉庫は修復や増改築を重ねた。工場に転用後も、被爆したれんが壁は2区画(各縦4メートル、横18・5メートル)残した。96年、市の被爆建物に登録された。

 桐原真一郎社長(50)は「工場は倒壊の危険性もあり、やむを得ず解体したが原爆被害の甚大さを物語る証しを残したかった」と話す。先代の社長で被爆者の父秀雄さん(84)も「ヒロシマの歴史を後世に伝える一助になれば」と喜ぶ。

 市は昨年度、同社工場と、再開発で取り壊された旧住友銀行東松原支店(南区)の2カ所を被爆建物の登録から外した。爆風で湾曲した同支店の鉄扉もモニュメント保存が決まった。市平和推進課は「建物全体を保存してほしいが老朽化などで困難な事例もある。部分的でも残し平和の心を広めてもらえるのはありがたい」としている。

被爆建物
 広島市が爆心地から5キロ圏内で被爆した建物を台帳で管理する。現在は86施設。国や県、市などの公共機関の所有が20施設、民間66施設。爆心地から2キロ以内は中区の平和記念公園レストハウスや旧日本銀行広島支店など17施設。中区のアンデルセン旧館は耐震工事に多額の費用がかかるため解体が検討されている。市は民間の被爆建物の保存・継承を目的に、3千万円を上限に保存工事費用の4分の3を支給する補助金制度を設けている。

(2013年10月11日朝刊掲載)

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