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加藤友三郎の原稿発見 こたつ「青年ニ取リテハ惰弱ノ気ヲ生シ」 呉の学生に講話 市史に収録へ

 旧海軍の呉鎮守府司令長官を務め、広島県出身者で初の首相にもなった加藤友三郎(写真・1861~1923年)が、長官時代に呉市内であった学生向けの会合で代読させた講話の原稿が見つかった。古風を尊び、質実剛健を促す軍人らしい表現で地域の若者を激励する内容で、今春以降に刊行予定の「呉市史資料編 海軍Ⅰ」に収録される。

 明治末期、冬場の暖房にこたつが普及するさまについて「青年ニ取リテハ惰弱ノ気ヲ生シ」「幾多ノ弊害ヲ伴フモノナリ」と、己を厳しく律するよう呼び掛けているのが目を引く。原稿は市内の60代男性がネットオークションで入手し、市史資料編の編集を進める千田武志・広島国際大客員教授に一時寄託した。

 会合は、1912(明治45)年1月6日に学生たちでつくる「呉学友団」が市内の寺で開いた茶話会。当時の副官が原稿を代読し、原稿自体も筆跡から、加藤の直筆ではないという。千田さんは「加藤は字があまりきれいではなかったので、読みやすいよう別の人に書かせたのではないか」と推測する。

 「海軍」と印字された用紙5枚のうち4枚半に記す。文中で、目的の達成には「周密ナル計画ヲ策立」するように促し、強者に打ち勝つには「鋭利ナル兵器ヲ擁スルカ操兵ノ術ニ於テスルカ」などと軍人ならではの表現で助言。最後に「日常瑣末(さまつ)ノ事ナルモ一言セント欲スルモノアリ」として、こたつの習慣について取り上げている。末尾に「海軍中将 加藤友三郎」の署名がある。

 「ありきたりではない呼び掛けに、加藤の率直な思いがうかがえる」と千田さん。「日本の歴史上、重要な役割を果たした加藤だが、残っている資料は極めて少ない。信条や人柄が伝わる非常に興味深い原稿」と話す。(杉原和磨)

加藤友三郎
 現在の広島市中区出身。呉鎮守府司令長官、海軍大臣などを経て1922年、県内出身者で初の首相となった。21、22年にはワシントン軍縮会議に出席し、日本の軍備縮小を決断。来年は没後100年に当たる。

(2022年2月21日朝刊掲載)

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