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連載・特集

緑地帯 川野祐二 エリザベト音大と歩んで②

 大学名称のエリザベトの由来を知る人は少ない。エリザベスあるいはエリザベートと書かれることもある。本学はエリザベト音楽大学である。

 ベルギー国王アルベール1世王妃エリザベト・ガブリエル・ヴァレリー・マリーは、1951年に本学の後援者となり、校名にエリザベトの名前を冠することを許された。王妃は音楽に造詣が深く、三大国際音楽コンクールの一つとされる「エリザベト王妃コンクール」でも知られる。

 本学の創立者エルネスト・ゴーセンス神父はベルギー出身。日本に初めてキリスト教を伝えたザビエルと同じ男子修道会イエズス会に属し、36年に神学生として来日し、まず神戸の六甲学院で働いた。その後2年間アイルランドで過ごし、40年に再来日。翌年司祭に叙階され、幟町教会で働くことになった。ところが41年12月8日に太平洋戦争が始まり、日本はベルギーと国交を断絶した結果、神父は敵性外国人とされ、初めは三次の、その後埼玉浦和の抑留所に終戦まで収容された。そのために幟町教会の同僚であったドイツ人神父のような被爆体験はない。

 終戦後ゴーセンス神父は、アメリカで修養と音楽の研鑽(けんさん)を積み、再び広島に戻った。広島の惨禍を目の当たりにして、平和の実現を願って広島音楽学校をつくった。

 外国人宣教師で資産も資金もないゴーセンス神父は、学校の維持発展のために、欧米、特にベルギーの篤志家やイエズス会に寄付を求めた。その活動は王室にも伝わり、王妃自らが後援者となった。(エリザベト音楽大理事長・学長=広島県府中町)

(2022年2月22日朝刊掲載)

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