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連載・特集

広島世界平和ミッション 米国編 第3部 歴史へのまなざし <3> 投下の是非 遠い両国の共通認識

 紺色のブレザーに丸ぶち眼鏡の男性がロビーにやって来た。ミッション第六陣一行が滞在していた首都ワシントンのホテル。研究者らしい風ぼうに、彼が待ち合わせをしていたサミュエル・ウォーカーさん(59)だとひと目で分かった。

 歴史研究家のウォーカーさんは、米原子力規制委員会(NRC)で原子力発電所など原子力の民生利用で起きた事故を分析する傍ら、原爆投下をめぐる歴史研究も重ねてきた。「原爆投下の是非を問う論争についていえば、私はいわば中道派」と自らの立場を先に明かした。

 レストランの一角でウォーカーさんは、原爆投下を命じたトルーマン大統領の日記や、当時の政府と軍の記録、歴史学の先達の調査を基にした研究の成果を語った。「原爆投下の理由は、トルーマン大統領が最も早く、確実に戦争を終わらせる方法だと考えたからだ」

架空の神話■

 メンバーは聞き慣れたフレーズに落胆しかかった。しかし、ウォーカーさんの主張は、原爆投下の「肯定派」とは少し違っていた。「大統領の決断は、側近から悪い助言を受けていたからだ。原爆を使えばどんな悲惨な結果になるか、彼自身も考えが浅かった」

 原爆投下の決断は間違っていた。が、誤っていたにせよ、米政府が戦争の早期終結を狙ったのも事実―。その主張が中道派のゆえんだ。

 テーブルの上に身を乗り出すメンバーを前に、ウォーカーさんは続けた。「当時、トルーマン大統領は日本本土に上陸しなければならない、という切迫感を持ってはいなかった。上陸しても一九四五年十一月ごろを考えていた」

 そしてウォーカーさんは意外にもこう結論づけた。「トルーマン大統領が『上陸作戦で失われる米兵たちの犠牲を食い止めるため』というのは、投下をより正当化するために後からつくった神話にすぎない」と。

 こうした「神話」は戦後五十周年から、一層市民の間に広がったという。「第二次世界大戦を振り返るテレビ放送の特集番組などによって、定着したのではないか」と推測する。

 あれから十年。米中枢同時テロやイラク戦争などによって、米国内には「正義の戦争」というムードが高まり、六十年前の原爆投下決断を再評価する動きに拍車をかけているようにも見える。

 津田塾大三年の前岡愛さん(20)が「投下目的は原爆の威力をテストするためだったのでは?」と尋ねた。

 ウォーカーさんは首を振り、「マンハッタン計画の科学者は試したかっただろうが、彼らは大統領に決断を促す立場にはなかった」と答えた。

 米ダートマス大経営大学院に留学中の会社員木村峰志さん(34)は「でも日本はソ連を調停役に終戦工作を進めていた。日本の降伏は近いと知りながら、原爆を使ったとはみられませんか」と問い掛けた。

意見交換を■

 ウォーカーさんはこうした見方にも否定的だった。「確かに、米国は終戦工作を知っていた。だが、日本は政府と軍部で意見が対立しており、降伏の準備をしているという説得力ある材料ではなかった」

 ウォーカーさんは、二人の疑問もまた「神話」だという。「両極端な神話のはざまで、議論が進まなくなっている」と現状を嘆いた。

 「どうしたら両国が共通の歴史認識を持てるでしょうか」。メンバーの質問に、ため息をついて言った。

 「互いに意見交換するしか道はないが難しい。ただ、私は肯定派と否定派をつなぐ役として、これからも出版などで影響を与えていきたい」

(2005年6月22日朝刊掲載)

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