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広島世界平和ミッション 米国編 第3部 歴史へのまなざし <4> 恩人の遺産 学内に反核発信の拠点

 オハイオ州の州都コロンバスから南西へ約九十キロ。白い花をつけたリンゴ並木の住宅街に、ウィルミントン大はあった。

 キャンパスの端の木造二階建ての白い一軒家が平和資料センター(旧広島・長崎記念文庫)だ。「私は翼に平和と書こう。そして、あなたは世界へ羽ばたくでしょう」と、英文を添えた折り鶴の絵が、玄関先に掲げられていた。

 「いつも開放的な雰囲気を心掛けています」。ディレクターのジェームズ・ボーランド助教授(49)はそう言って、ミッション第六陣一行を迎え入れた。

 センターは、四十一年前に「広島・長崎世界平和巡礼」を実現するなど、広島の世界化に尽力した米国人平和運動家の故バーバラ・レイノルズさんの呼び掛けで一九七五年に設立された。彼女はその後二年間、初代ディレクターを務めた。

膨大な文献■

 原爆関連の資料は防火金庫に納められていた。米国人で広島YMCA職員のスティーブ・コラックさん(50)は「これほど膨大な原爆文献がここにあるとは…」と驚き、資料を手に取っていた。

 同大の学生数は院生も含め約千百人。新入生は必修科目として、センターで世界の核状況や紛争について学ぶ。

 ボーランドさんは「学生の大半は米中部出身。視野が狭くて、世界への関心も薄い」と説明。「広島・長崎についてもまったく知らない学生も珍しくない」とため息をついた。

 高校の歴史の授業でもほとんど原爆に触れないという。「教師が原爆投下の経緯や被害を説明しきれないから」とのボーランドさんの指摘に、コラックさんは「典型的な米国の地方都市の姿だ」とうなずいた。

 オハイオ州は昨年の大統領選で、ブッシュ陣営が勝利した。世界の懸念をよそに、核兵器開発などに突っ走る現政権を支えているのは、米市民のこうした「内向きの世界観」である。

 そんな中、「バーバラが残してくれた資料は学生が世界に目を開く大きな助けになっている」とダニエル・ディビアシオ学長(56)は、センターの働きを高く評価する。

 センターで学んだその成果の表れだろうか。学内の食堂で昼食をともにした大学院生のグレゴリー・アレンさん(30)は「ブッシュ政権は、米中枢同時テロの衝撃を悪用して、武器がもっと必要だと国民をあおり、都合の良い方向へ導こうとしている」と、地域の多数の声とは正反対の意見を述べた。

 二〇〇三年のイラク開戦の際も、学内で反戦デモが起きた。むろん地元は決して好意的には受け取らなかった。大学を批判する投書が地元紙に掲載されたり、寄付金が一時的に減ったりもした。が、大学運営を左右する事態には陥らなかった。

地域へ貢献■

 ディビアシオさんは「地元は学校の信念に百パーセント賛同していないので、ときには緊張関係が生まれる。しかし、長年の取り組みのおかげで、支援の手が途切れることはない」と誇る。

 センターは原爆の惨状を記録した写真などを高校や地域の団体に貸し出している。さらに、レイノルズさんの遺産を守る傍ら、身近な平和づくりに向けた情報発信としての機能も持ち始めた。

 学校内での銃乱射事件などが起こる国内の現状を踏まえ、級友同士の間で信頼関係を築くための平和教育キャンプを、地元の高校生らを招いて実施する。ボーランドさんは「今後は平和教育ができる教員の養成にも努める」と話した。

 広島に心を寄せ、非暴力で核のない平和な世界を希求したレイノルズさんの精神が今も息づくキャンパス。見学を終えた津田塾大三年の前岡愛さん(20)は、メンバーの思いを代弁するように言った。「センターの影響力が全米へ広がってほしい」

(2005年6月23日朝刊掲載)

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