×

社説・コラム

郷里に文庫 大きな功績 周南出身の軍人・政治家 児玉源太郎生誕170年

「民のため」 武士道精神反映

 周南市出身の軍人で政治家、児玉源太郎(1852~1906年)の生誕から25日で170年を迎える。日露戦争を勝利に導き、台湾の近代化に尽くした業績が注目されがちだが、私立図書館「児玉文庫」を郷里に設けた事実も忘れてはならない。多くの市民が利用し、地域文化の振興に果たした役割は大きい。(中井幹夫)

 児玉は人手に渡っていた生家(現在の周南市岐山通)を買い戻し1903年、文庫を開いた。誰もが利用できる近代的な図書館で、県内では萩の阿武郡立に次ぎ2番目だった。児玉の死後、児玉家などが運営し都濃郡から支援も受けた。

 有志が寄せた図書、旧徳山藩校興譲館の蔵書に加え、思想家の新渡戸稲造たちからも寄贈を受けた。蔵書は05年に8840冊、42年には4万3088冊になった。歴史や地理、文学、語学、科学など幅広い分野の書籍が置かれた。

 図書の巡回や展覧会なども開かれ、地域の重要な社会教育施設となった。周南市美術博物館が2011年度に開いた関連の企画展に合わせて市民から募ったエッセー数点に「幼少期に文庫に通った」との記述がある。松本久美子学芸員は「市民に親しまれた存在だったのだろう」と言う。

 なぜ児玉は郷里に文庫を設けたのか。「本が手に入りにくい地方の若者に、古今の図書を集めてみせてやりたい」。亡くなった当時の雑誌には、本人が語った動機が記されていた。

 しかし文庫は45年7月の空襲で焼け落ちた。貸し出し中で焼失を免れた図書6点と貸し出し箱、児玉文庫と書かれた門標が残る。その存在を知らせるため、保管先の市立中央図書館は2019年から特設の展示コーナーを設けている。

 文庫跡は公園になり、児玉が生前に使っていた井戸が保存され、当時をしのぶことができる。近くには児玉神社、その南の公園には銅像が立つ。近現代史に詳しい萩市の萩博物館特別学芸員の一坂太郎さん(55)=下関市=は「児玉は武士は民のためにあるべきだという武士道の精神を持ち続けた。文庫はその志を反映したものではないか」と話している。

児玉源太郎
 徳山藩士で、戊辰戦争に出陣した後、明治政府の軍人となった。陸軍大学校長、陸軍次官などを経て1898年に台湾総督。在任中に陸軍、内務、文部大臣を兼務した。1904年からの日露戦争では台湾総督のまま、満州軍総参謀長として作戦を立案、指揮した。

(2022年2月24日朝刊掲載)

年別アーカイブ