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被爆鳥居の台座 姿現す 旧市民球場跡地 40年近く葉陰に埋没

 原爆で倒壊した旧広島護国神社の鳥居の台座が、広島市中区基町の旧市民球場跡地の一角にある植樹帯に姿を現した。1971年の工事で土の中から掘り出されたが、その後は植樹帯の葉陰に埋もれ、市が今夏に伐採するまで40年近く、忘れられた存在だった。市は「貴重な被爆遺物。長い間、活用していなかったことを率直に反省する」としている。(加納亜弥)

 コンクリート製の台座は基礎部分が縦1・5メートル、横1・1メートル、高さ0・9メートル。その上に折れた柱の半球状の根元が残っており、すさまじい爆風で鳥居が倒れたことをうかがわせる。

 旧広島護国神社は原爆投下当時、現在の球場跡地にあった。鳥居の位置は電車通り沿いの正面に1カ所、拝殿があった北側に2カ所。台座は北側2カ所のうち、中津宮の鳥居と伝えられている。

 市教委育成課によると、台座は71年、下水管工事をしていた際に土中で見つかった。市は「青少年の平和教育に生かす」と、市青少年センター入り口の植樹帯に銘板を付けて移設。しかし、その後は台座は育った樹木の陰に隠れ、活用されないまま時が過ぎた。

 植樹帯の地下には暖房用の重油タンクがある。消防局からの指導を踏まえ、センターがことし8、9月、樹木を伐採したところ、台座が再び姿を現した。

 市教委育成課の松田裕子課長は「多くの人に知ってほしい」と、今後の活用策を急いで検討する。

旧広島護国神社
 前身である官祭広島招魂社が1934年、社殿の老朽化に伴い、現在の旧市民球場跡地に当たる西練兵場の西側に新しい社殿を造営し、移転。39年に広島護国神社と改称された。爆心地の北約200メートルで、社殿全てが焼失。爆心地に近い電車通り沿いの正門の鳥居は、ほぼ真上から爆風を受けたため倒壊しなかった。56年に広島護国神社が広島城跡(広島市中区基町)に移転、造営された際、裏御門近くに移設されている。

(2013年10月14日朝刊掲載)

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