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社説・コラム

『潮流』 忘れたような顔

■論説委員 森田裕美

 ここのところ涙目で床に就く夜が続いている。昨夏、全11巻が完結した武田一義さんの漫画「ペリリュー 楽園のゲルニカ」を繰り返し読んでいるためだ。

 太平洋戦争で米軍の猛攻に遭い、日本軍が壊滅したパラオ諸島ペリリュー島。そこに赴いた一兵卒の目線から、生と死が紙一重の戦闘と敗残のリアルを伝えている。愛くるしい姿で表現された登場人物とは裏腹に、史実を踏まえた筋立ては重く、胸が詰まる。

 殺し殺され、人間性を失い「肉の塊」に…。極限状態に置かれた兵士たちの心の動きまで丁寧に描かれ、遠い昔の遠い島にいたのは、私と同じ生身の人間であったと突き付けられる。

 最終巻は、生還した兵士らの戦後にページを割く。めくりながら、実在の元兵士の言葉が頭に浮かんだ。

 「私はいい、それでも生きて故郷の土を踏むことができたのですから…」。やはり激戦地だったグアム島で敗戦を知らされず、1972年まで潜伏を続けた横井庄一さん(97年に死去)が、手記に残していた。

 横井さんの帰国から今月で半世紀。「恥ずかしながら」が、つとに知られる半面、横井さんの「戦後」はあまり語られていないことに気づき、関連する記録に当たってみた。

 帰国後の横井さんは、質素な暮らしに関する講演などを依頼されて各地を回る一方、進んで戦争体験を話すことはなかったそうだ。当時、高度経済成長を果たした社会の関心は、戦争より密林でのサバイバル生活に向いていた。

 「日本は皆、戦争のことを忘れたような顔をして暮らしている」。妻にはそう打ち明けたという。友の無念を背負う横井さんにとって、戦争の記憶の忘却は耐え難かったに違いない。

 歴史から何度も教訓を得ているはずの人類がまた戦争を始めた。「忘れたような顔」は許されない。

(2022年2月26日朝刊掲載)

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