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遺品の認識票 娘の元へ 沖縄戦で戦死 山口出身の西誠さん 「父がやっと、やっと帰った」

 太平洋戦争末期の沖縄戦で戦死したとみられる山口県平生町出身の西誠さん=当時(32)=が身に着けていた「認識票」が25日、戦後76年を経て長女の井上初子さん(78)=同町=の元に返った。沖縄県浦添市の前田高地で発掘され、広島経済大(広島市安佐南区)の名誉教授岡本貞雄さん(69)が身元の特定に尽力した。

 岡本さんや同大の学生たち5人が井上さん方を訪れ、さびた認識票を手渡した。母の形見の着物を着て受け取った井上さんは「父がやっと、やっと帰ってきてくれた。母が生きていたら涙を流して喜ぶと思う」と言葉を紡いだ。

 真ちゅう製の認識票は縦4・5センチ、横3・3センチの楕円(だえん)形。旧陸軍船舶司令部(暁部隊)の船舶砲兵第2連隊の所属を示す「船砲二」や兵隊番号「六一」が彫られている。個人を特定するため、ひもに通して左脇に肌身離さず着けていたという。

 沖縄で長年、遺骨の収集を続けてきた国吉勇さんが1995年に発掘し、保管していた。昨年、国吉さんと交流のあるボランティアが、広島市南区の比治山に陸軍船舶砲兵部隊の慰霊碑があることを知り、岡本さんに認識票を託した。

 沖縄戦の戦跡を巡る活動を続けてきた岡本さんは「地元に帰りたいという亡くなった方の念に寄り添って身元を調べた」と話す。「船舶砲兵部隊史」や、第2連隊の霊璽(れいじ)簿などを調査し、暁部隊に所属した西さんが着けていた可能性が高いと判断した。

 終戦時に2歳だった初子さんは「父を全然覚えていない」。母の話では、幼い初子さんを風呂に入れるなどして、かわいがってくれたという。認識票を手にした初子さんは、ロシア軍によるウクライナ侵攻のニュースに触れ「戦争なんてとんでもない。みんなで仲良く暮らせるのが一番」と強く願っていた。(黒川雅弘)

(2022年2月26日朝刊掲載)

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