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連載・特集

[ヒロシマの空白 証しを残す] 巨大きのこ雲 県北でも鮮明 安芸高田の故織田さん撮影

来月広島で展示 当時の体験も

 1945年8月6日に広島県高田郡本村(現安芸高田市美土里町)から織田吾郎さん(99年に86歳で死去)が撮った原爆のきのこ雲の写真2枚が、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館(広島市中区)で3月から開催予定の企画展で展示される。安芸高田市など県北部から撮ったきのこ雲の写真は原爆資料館(同)で所蔵も展示もされておらず、あまり知られていない。祈念館は織田さんの撮影時や入市被爆の体験も伝え、貴重な写真に光を当てる。(水川恭輔)

 織田さんは撮影当時32歳で、本村で農林業を営んでいた。生前に取材を受けた本紙記事(86年8月3日付朝刊)などによると、8月6日朝、爆心地から約40キロ北東にある自宅の台所で閃光(せんこう)を感じた。

 外に出ると、南にある山の向こうに異様な雲が見えた。最初は桃色のシュークリームのような形に見えたという。「みるみる雲が膨らみ、広島の方向が真っ暗になった」(同日付記事での証言)。写真が趣味だった織田さんは愛用の二眼レフカメラで3枚を撮った。

 夕方になると、被爆した人たちが本村に避難してきた。織田さんは広島市中心部にあった義父母宅に向かって市内に入り被爆した。当時62歳だった義父は本村で手当てを受けたが、被爆12日後に息を引き取った。

 織田さんの写真は、日本側が最も北から撮ったきのこ雲とされる。3枚のうち1枚は戦後散逸したが、残る2枚は県内に住む次女(81)が写真プリント(各約40センチ×約30センチ)を保管している。「高田郡史」などの郷土資料に掲載されたほか、安芸高田市歴史民俗博物館で1枚が展示された。ただ、原爆資料館で長年展示されたことはなく、データベースにも入っていない。

 ほかの代表的な原爆写真と比べ、目に触れられる機会が乏しかった織田さんの写真を知ってもらおうと、祈念館は3月7日から予定する原爆写真の企画展で次女から借りた写真プリント2枚を展示する。

 織田さんは生前、この2枚のうち1枚は原爆投下の約15分後、もう1枚は約20分後に撮ったと記憶していると話している。2枚を比べると、雲が広がる様子も分かる。企画展を担当する祈念館の橋本公(いさお)学芸員は「40キロ離れていても雲がこれほど大きく見えたのだと肌で伝わる貴重な写真だ。この雲の下でどれほどひどいことが起きていたか、思いをはせてほしい」と話している。

(2022年2月27日朝刊掲載)

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