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連載・特集

緑地帯 ひろしま修学旅行生との20年 中澤晶子 <1>

 「うっそうと」という形容が、ふさわしい平和記念公園の緑。かつて詩人が「とはのみどりを」とうたった広島市のデルタにキョウチクトウの紅がこぼれ、まぶしい日差しのなか、70年の夏が来る。

 去る5月、若葉のみどりしたたる公園に、ことしも横浜からの修学旅行生を迎えた。縁あって、中学生の「ひろしま学習」に関わり、20年。あのころの子どもたちは、親になっていることだろう。

 「ここは昔からこんなに木がいっぱいあったの?」。原爆供養塔から少し離れた木立の陰の、慈仙寺跡のくぼみに立って、子どもの1人が目を上げ、木々を仰いだ。

 ここは70年前、人々が暮らすにぎやかな町だった。公園は被爆後の焼け野原に盛り土をして造られ、みんなが立っているこのくぼみが、もとの町の地面なのよ。

 子どもたちは不思議そうにあたりを見回す。したたるみどり、木漏れ日が輝く。ここは、穏やかで、かぐわしく、あまりに美しい。大事なものは、目には見えない。それを伝えたい、とここに立って切に思う。

 事前学習を重ね、この地に立ち、原爆ドームの小ささに驚き、証言者のことばに深くうなずく子どもたち。そんな中学生にこの町は、どんな意味をもつのだろう。

 「広島から帰って、子どもたちはどうですか」と尋ねたとき、まだ2年目という教師は言った。「子どもたちが、優しくなりました」。それが答えの一つであるならば、と、小さな喜びがわいた。(なかざわ・しょうこ、児童文学作家=広島市)

(2015年7月16日朝刊掲載)

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