×

連載・特集

緑地帯 ひろしま修学旅行生との20年 中澤晶子 <2>

 「怖くて、これ以上、進めません。引き返してもいいですか」

 青ざめた顔で、声を震わせる女子生徒。渡り廊下の先に、黒く口をあけた本館入り口が見える。「いいのよ、無理することないから、外で待ってて」。改修工事前の原爆資料館(広島市中区)でのひとこま。事前学習を重ねた彼女には、その先にあるものの声なき叫びがすでに聞こえている。いいのよ、行かなくても。そうとしか、言いようがないではないか。

 修学旅行の子どもたちが出合う広島に、私は、いつ、どのように出合ったのだろう。名古屋に生まれ、父の転勤とともに移り住んだのが50年前。その夏、町は被爆20年を迎え、子ども心にも強く印象に残る、不思議な熱気に包まれていた。原爆スラムがあった。「ヒロシマ・ノート」が世に出た。ケロイドが残る人も見た。外光が入っていた当時の資料館では、少年たちの焼けちぎれた衣服の資料の向こうに、噴水がきらめき、巣づくりにいそしむハトが見えた。きのこ雲の形をしたガラス張りの子ども図書館もあった。

 中学のクラスメートには被爆2世が大勢いた。遊びに行った先で友だちの両親に言われたことがある。「わたしら、いつどうなるかしれん。この子といつまでも仲よくしてやってね」。それが初めて出合った、1965年の広島だった。

 そして、その「出合い」が、「人間とは、どんなにひどいことでもできる存在」と教えてくれた。今にして思えば、私のなかで幸福な子ども時代は、そこで終わったのだ。(児童文学作家=広島市)

(2015年7月17日朝刊掲載)

年別アーカイブ