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連載・特集

緑地帯 ひろしま修学旅行生との20年 中澤晶子 <6>

 頭の片隅に残る、ひとかけらの知識が、いつもなら見過ごしたり聞き逃したりすることに、ふと注意を向けさせてくれることがある。「この前、ラジオで福島原発にトラブルが発生したと言っていた」と作文に書いた子がいた。4年前の大事故の、ずっと前の話。修学旅行の事前学習で、チェルノブイリを学んでいなければ、おそらくニュースは、この子の耳にとまることはなかっただろう。

 知らなかったことを知ること、そして考えること。中学生たちは、教師たちに促されて事前学習を始めるが、しだいにそれに関心を示し、やがて主体的に動きだす。ひとつ知れば、次々と知らないことが現れる。そして調べ、また、立ち止まって考える。子どもたちは、まだ気づかない。自分たちが変わりつつあること、そうしてしだいに社会とつながっていくのだということに。

 私を含め、子どもたちも教師も現実としての戦争を知らずに育った、幸運な世代に属している。「ピカは、おうたもんしか、わからん」という被爆者の声は、つねに私たちを打つ。体験のない私たちは「わからない」「しょせん人ごと」から始めるしかないのだ。

 幸いなことに、戦争の体験者と私たちは時間が限られてきたとはいえ、同じ時代をともに生きている。「わからない」けれど、なお分かろうとする努力をあきらめないこと。できることは、それに尽きるのではないか。知る、考える、想像する、伝える、そして何より、人を愛すること、いのちを慈しむこと。広島への修学旅行は、それを教えてくれる。(児童文学作家=広島市)

(2015年7月23日朝刊掲載)

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