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連載・特集

緑地帯 ひろしま修学旅行生との20年 中澤晶子 <7>

 横浜からの修学旅行の中学生と関わってきた20年で、強く印象に残っている年は、2011年。事前学習の一環として、チェルノブイリを学んだ子どもたちに、東京電力福島第1原発事故が与えた衝撃は大きかった。クラスには、福島から着のみ着のままで避難してきた子がいる。運動場やプールサイドに放射線量の高いところが現れ、部活の前には線量計が必要だ。親が買い物のとき、神経質に産地を調べている、などなど。「中澤さんの書いた本と同じですね」と電話してきた卒業生もいたと聞く。チェルノブイリは人ごとだった、けれども福島は?

 ある子は書いた。「チェルノブイリの事故があったのなら、なぜ同じことが起こらないようにしなかったのでしょう」。私たち大人は、黙してこうべをたれるばかりだ。いま思い返すと、この年にやってきた生徒たちは、やはりそれまでの子どもたちと何かが違った。どこか切羽詰まったというか、緊迫感があった。「人ごと」からまさに「当事者」へと感想文にも変化が見えた。私たち大人がうかうかしていたばかりに未来へ大きな禍根を残してしまったゆえに。

 以前、感想文の中で、「原爆」と「原発」を混同して書く子が少なからずいた。そのときは「おやおや」と思っていたのだが、こうなってみるとその子たちの感覚は正しかったのだ。「原爆」と「原発」は、コインの裏表。「人類は核と共存できない」と力説された故森滝市郎さんの言葉が、重みをもってよみがえってくる。福島から4年、広島・長崎から70年。まだ何も終わってはいない。(児童文学作家=広島市)

(2015年7月24日朝刊掲載)

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