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連載・特集

知られざるヒバクシャ 劣化ウラン弾の実態 第4部 同盟国の重荷 英国 <2> 夫の死 「湾岸」帰還後に発症 妻、治療法確立訴え

 「犬を連れて夫とよくこの道を散歩したわ」。長身のジュリー・ミーンズさん(39)は、緑の小麦畑が広がる田舎道を足早に歩きながら懐かしそうに言った。二頭の愛犬が尾を振って寒風の中を走り回る。「彼がどれほど苦しんで亡くなったかを思うと、今でも悔しくて…」

  最激戦地での従軍

 ロンドンのキングスクロス駅から列車で北へ三十分。ヒッチン市の駅で降り、タクシーで十分足らずの田園地帯に、ジュリーさんと夫のスティーブンさんが暮らした家はあった。

 「これが夫よ」。二十分ほどで家に戻った彼女は、居間でアルバムを広げた。戦車の前で銃を構え、四人の仲間とイラク領内で記念写真に収まるスティーブンさん。厚い胸板、屈強な体格。陸軍戦車隊員として一九九一年の湾岸戦争に参加するまでは、問題ひとつない健康体だった。

 「湾岸戦争ではいつも最前線よ。劣化ウラン弾で破壊されたイラク軍戦車内に兵士が残っていないかをチェックするのも任務だった。クウェートからイラク領内に進攻する時は、一番ひどい戦闘のあった『死のハイウエー』を通ったって言ってたわ」

 九〇年十月、駐留中のドイツの英国軍基地からサウジアラビアへ派遣され、帰還したのは地上戦の終了(二月二十八日)から二週間後の九一年三月半ば。ジュリーさんと知り合って日の浅いスティーブンさんは四月初旬、休暇を利用してヒッチンの彼女の元を訪ねて求婚。その年の八月に結婚した。

 軍医「喫煙が原因」

 「結婚後は、四歳だった私の子どものマックを連れてドイツ北部の基地内に住んでいたの。自分の子どものようにかわいがってくれたわ」。幸せな日々の中で、中東から続く夫の下痢だけが気にかかった。

 その年の十月に三十歳の誕生日を迎えたスティーブンさんは、定期検診の際に軍医に症状を訴えた。軍医は原因を調べようともせず「喫煙のせいだ。禁煙すれば治る」とだけ答えた。喫煙で下痢などしたことのない彼は、いいかげんな診断に憤りをあらわにした。

 「夫は戦車部隊で劣化ウラン弾を扱っていたから名前だけは知っていた。でも、何の害もないと教えられていたし、化学戦に備えて取った予防薬がどんな作用を及ぼすのか、何も知らなかった」とジュリーさん。

 九三年三月にヒッチンに戻り、スティーブンさんは近くの陸軍基地で、国防義勇隊の教官を務めた。一年後に長女のロクサンちゃん(6つ)が生まれたものの、喜びとは裏腹に夫の下痢は一層ひどくなり、慢性的なけん怠感や指の硬直も目立ち始めた。

 九六年に体調が一気に悪化。精神的にも不安定になり、仕事がほとんどできなくなった。「軍医が信じられず、民間の熱帯病専門医や精神科医にも診てもらったけど、薬が増えるばかりで一向によくならなかったわ」

 やがて一人でトイレに行くのも困難になり、体中の関節が痛んだ。そして九九年四月、心臓発作で三十七歳の若い命を落とした。除隊から三カ月後だった。

 二人の子どもと夫の世話に明け暮れた日々。ジュリーさんは夫の死後まで、多くの湾岸戦争退役兵が病気で苦しんでいるのを知らなかった。「同じ退役軍人でつくる協会もあった。夫の死後、年末までに心臓発作で死亡した退役兵が十二人もいたのよ」

 国の対応に不信感

 現在は政府から支給される夫の軍人恩給千ポンド(約十六万五千円)で切り詰めた生活をするジュリーさん。「こんなお金より健康な体の夫を戻してほしい。国防省は、病気と劣化ウランなどは無関係ということに研究費や人件費を使うだけ。湾岸で病気になった退役軍人らを助けようともしない」

 ジュリーさんは国防省に、これ以上犠牲者を出さないよう病気の湾岸退役兵と正面から向き合い、治療法を確立すべきだと訴える。

(2000年6月3日朝刊掲載)

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