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社説・コラム

『潮流』 あなたを信じる

■論説委員 吉村時彦

 バイデン米大統領は「米国史の最も恥ずべき章の一つ」と謝罪した。第2次大戦中に米国政府が行った日系人強制収容のことだ。

 今年の2月19日は大統領令の発令から80年に当たる節目だった。米国内陸部の荒野や砂漠のキャンプに押し込められた日系人は12万人を超す。非道な人権侵害を繰り返すまいと誓う催しが全米各地で開かれた。

 自由と民主主義をうたう米国の指導者でさえ、考えられない過ちを犯す。強制収容の歴史はそれを証明する具体的な教訓だろう。

 米国ハワイ島生まれの日系2世中村一三郎さんに体験を聞いたことがある。真珠湾攻撃当夜に日本語教師をしていたハワイで拘束され、妻と本土に送られた。

 自由を制限される生活は4年余り。尊厳を傷つけられる苦難であったに違いない。そう思っていた私が耳にしたのは「どんなことも思い出になれば忘れるものよ」という言葉だった。

 中村さんは家財を全て失いながらハワイで日本人学校を再興し、晩年は両親の故郷である周防大島へ戻った。過去を寛容に受け止められたのは97歳で亡くなる3年ほど前の取材だったからかもしれない。

 だが二つの祖国が戦う理不尽さは受け入れがたかったようだ。「戦争だけはしちゃいけん」と唯一語気を強めたのが印象的だった。

 今のウクライナ危機も同じような状況だろう。ロシアもウクライナもかつては同じソ連の国民である。家族や知人が両国にまたがる人も少なくないはずだ。ロシアのプーチン大統領の暴挙は泉下の中村さんでも、さすがに許せまい。

 中村さんは収容所で手作りしたサルスベリのつえを亡くなるまで60年以上も手元に置き続けた。花言葉は「あなたを信じる」。時の大統領への無言の抗議だったのだろうか。聞き漏らしてしまったことが今も残念でならない。

(2022年3月5日朝刊掲載)

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