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社説・コラム

天風録 『西村京太郎さんからのファクス』

 呉と広島市で殺人事件が続けて起きる。おなじみ、警視庁の十津川(とつがわ)警部が捜査に乗り出して…。その名も「呉・広島ダブル殺人事件」は著者お得意のトラベルミステリーだが、原爆と戦争が影を落とし、読後感はそれなりに重い▲2年前の刊行直後、同僚の記者が西村京太郎さんに執筆の経緯を書面で尋ねた。すると原稿用紙15枚にわたり、丁寧な手書きファクスが届く。「私は戦争は知っているが戦闘は知らない。中途半端な世代なんです」と▲14歳で終戦を迎え、むごたらしい戦場の記憶がない。それでも晩年に心境が変わったという。「私の世代が一番の年長者になり、戦争を書いていかなければならないと覚悟を決めました」。くだんの作品がその一つ▲その西村さんの訃報が届いた。91歳。最近もほぼ月1冊ペースで新作が刊行され、累計で600冊を超えたという。小粋なトリックの数々をよくぞ次から次へと思いついたこと。原稿が全て手書きだったことにも驚く▲原爆の知識はあるが実感はない。原爆による「死」が書けない。そう嘆きながらも老作家は、ファクスに「東京の若者が広島で被爆者に出会い…」と新作の構想もしたためていた。読みたかった。

(2022年3月8日朝刊掲載)

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