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連載・特集

広島世界平和ミッション 旅を終えて <2> 核抑止力の克服 周辺国との信頼醸成を

 「核兵器保有が戦争を抑止する」―米ソ冷戦下に生まれた核抑止力論は、一九九〇年代初頭の冷戦終結を経て、人類が二十一世紀に足を踏み入れた今も、核保有国や潜在核保有国の間に根強く生き続ける。

 平和ミッションは、あえてこうした国々を選んで行脚に出掛けた。「壁の厚さ」は十分承知しての現地訪問。が、初めて海外で平和交流を体験したほとんどの被爆者や若者らには、大きなショックだった。

落胆隠せず■

 例えば第三陣が訪ねたフランス・パリの国立国際関係研究所。「欧州統合が進み、近隣から攻撃される可能性はどう見てもない。なのになぜ核軍縮へのイニシアチブが取れないのか」。こちらの問い掛けに、政府の立場を代弁する学者は「わずかでも攻撃される可能性が残っている以上、核兵器を手放すことはできない」と答えた。

 「どこから攻撃される可能性があるのか」と追及しても、明確な返答はない。イラク戦争に反対した国の立場とのあまりの違いにメンバーは落胆を隠せなかった。

 第四陣が訪ねたロシアでは、政府高官が「ロシア(旧ソ連)は防衛のために米国に対応せざるを得なかっただけ」と釈明。第二陣訪問国の中国でも「核兵器は防衛のためで、先に使用することはない」とのオウム返しの答えが返ってくるばかりだった。

 一九九八年のインドの一連の核実験に対抗して核実験を命令した当時のシャリフ首相は、実験直後に「日本も核兵器を持っていたなら、ヒロシマは起きなかっただろう」と公言した。

 米国主導によるイラク攻撃は、北朝鮮の金正日(キムジョンイル)総書記に核保有への決意をあらためてさせたに違いない。「イラクは核兵器を持っていなかったから攻撃された」と。

 「防衛のために」と「悪魔の兵器」にとらわれる国々。だが第一陣が訪ねた南アフリカ共和国は、保有する六個の核弾頭すべてを九一年に解体した。

 当時のデクラーク元大統領秘書は「周辺の脅威が薄れたことと、国際社会に認知されるために核兵器を廃棄した」と説明。保有国から非保有国になることで「国はより安全になり、経費もかからず、国際的地位も上がった」と話した。

異なる見方■

 旧ソ連時代に大量の戦略核兵器が配備されていたウクライナは、ソ連の解体に伴って、九六年にすべての核弾頭をロシアに返還し、ミサイルも廃棄した。

 かつて同じ「国」として機能したロシアとウクライナ。だが、第四陣が行った「平和授業」の中で、ロシアとウクライナの生徒や学生たちの核保有に対する見方は大きく違っていた。ロシアでは「核抑止力は必要だ」という反応が大半を占めたが、ウクライナでは「必要がない」「核兵器廃絶のために働きたい」という反応が強かった。

 ウクライナでは、チェルノブイリ原発事故による放射線被害の恐ろしさも身にしみて知っている。「核抑止力」という考えに否定的になる要因でもある。

 南アとウクライナのケースは、「核抑止力」という考えから脱却するためのヒントを与えている。一つは周辺国の信頼醸成を図り、関係改善に努めることだ。「持たなくても大丈夫」から「持たない方がより安全」といった発想ができるように、地域・国際環境を変えていくことである。

 そもそも自国民をも含む人類全体を人質に取った「核抑止力」という考えそれ自体が「不道徳」な考え方であり、「人類への背信行為である」という意識を広める必要もある。

 そして何よりも大切なのは、核戦争が起こらなくても、核兵器開発は膨大な資源を浪費し、放射能汚染を広げ、自国民をはじめ多くの人々を犠牲にしているという事実を核保有国に突きつけることである。

(2005年6月28日朝刊掲載)

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