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連載・特集

広島世界平和ミッション 伝える 若者へ 世界へ 共鳴した願い つなぐ行動

 広島国際文化財団(山本信子理事長)主催の被爆六十年プロジェクト「広島世界平和ミッション」は、多くの市民に支えられてほぼ一年半にわたる事業を終えた。趣旨に賛同する市民らの寄付金をはじめ、広島の児童・生徒たちは海外に出かける代わりにメンバーに折り鶴や平和のメッセージを託した。いま一度訪問国などの概要をまとめ、ミッションを通じて「伝え、学んだ」体験や教訓をさらに周囲に広げようと励む人々の姿を紹介する。(平和ミッション取材班)

知るだけで終わらせたくない

広島女学院高生徒、勉強会重ね次の目標

 六月下旬の放課後。広島女学院高(広島市中区)の生徒有志でつくる「生徒による女学院国際協力」(JICS)の会員十一人が、第四陣メンバーで「ヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクト」世話人副代表の小畠知恵子さん(53)を講師に勉強会を開いた。

 国際協力機構(JICA)の研修で被爆地を訪れているボスニア・ヘルツェゴビナの教員との交流会に備えて、事前学習をするためだ。

 小畠さんは一九九〇年代の民族紛争により、約二十万人の犠牲者を出した同国を旅した経験を紹介。「原爆による悲劇を体験しながら、投下国を憎まず平和を求めるヒロシマは、和解のための接着剤的な役割ができる」と語り掛けた。

 昨年発足したJICSはこれまでも平和ミッションの新聞記事や、参加者が講師を務める「出前授業」を活用し、国際理解を深めてきた。

 二年生の久保田希さん(16)は「知るだけで終わらせたくない。私たちにもできることはないかと考えるようになった」と変化を口にする。

 昨年十二月には、第一陣と三陣メンバーを講師にワークショップを企画。学外にも公開した。当時、会の代表だった三年生の服部由布子さん(18)は「校内だけでなく、どんどん外に輪を広げたい」と目を輝かせていた。

インドの学生、核廃絶訴える

クマールさん、地元でヒロシマ・デー企画

 第五陣メンバー五人が今年一月下旬から約二週間訪ねたインド。その都市の一つ、中部ワルダはガンジーが非暴力・不服従運動を実践した地だ。ここで出会った大学院生のスンダラム・クマールさん(24)は、第五陣帰国後も、地域で原爆被害の実態を伝え、核兵器廃絶を呼び掛ける活動を続けている。

 「私は組織も何もないただの学生。だからいろんな組織や団体の活動に便乗して話をしています」。小学校や福祉・人権擁護団体、自らが通う大学―。数え切れないほどの場で、平和ミッションを報じた新聞記事や、第五陣が持参した原爆関連資料を活用し、ヒロシマを語ってきた。

 日本語が達者なクマールさんは、第五陣が訪ねた際、自ら通訳を買って出た。メンバーと同行し、「ミッションの取り組みは、ただ平和を祈るのではなく、平和のためにイニシアチブを取って立ち上がるヒロシマの行動だ」と感じた。

 今、その行動を引き継ぎながら、「インドの市民はまだ本当の意味で被爆の惨禍を分かっていない。南アジアの恒久平和を望むならヒロシマに学ぶべきですよ」と言う。

 今年八月六日は、地域の数団体と「ヒロシマ・デー」のイベントを企画。核兵器廃絶の署名運動もしたいという。連日四〇度近いワルダで、クマールさんの思いも熱く燃えている。

報告会の足跡 文集作り

市民の会、サポーター役

 平和ミッションの各陣が帰国すると毎回、市民向けに報告会が開かれた。主催したのは、七十―四十歳代の女性十五人でつくる「広島世界平和ミッション」を支える市民の会(柴田幸子代表世話人)。

 同会は、ミッション事業が始まって間もなく発足。市民に活動内容を広めたり、寄付を募ったりして、文字通り陰で「支えて」きた。

 六月二十一日の午後。広島市中区の市女性教育センターに集った柴田さんらは、事業の締めくくりに、ミッションメンバーのリポートをまとめた文集の編集作業に追われた。「報告会で言いっぱなし聞きっぱなしになるのはもったいない」と文集作りに取り組んだ。

 柴田さんは約一年半を振り返り、「メンバーとの出会いから私たちも学び、国内にいては知り得ない問題に気付かされた」と強調。「地球規模で平和について考え、次世代に伝えていかなくてはと思うようになった」と感慨を込めて言った。

広島世界平和ミッション

 昨年1月1日付本紙で、ミッションの趣旨を伝え、被爆者ら市民の参加者を募った。応募者は最終的に86人に達した。その中から書類と面接などで各陣5~4人、計29人を選んだ。

 うち被爆者は9人、中国、ロシアの留学生など広島と韓国在住の外国人5人もメンバーに加わった。年齢は80歳から18歳まで。

 訪問国=地図参照=は計13カ国。昨年3月に第一陣が南アフリカ共和国に向けて出発し、最後の第六陣は5月に米国から帰国した。

 滞在期間はそれぞれ3週間から5週間余。訪問先の各地で、原爆被害の実態や「平和と和解」のメッセージを伝えた。一方で、戦争やテロの被害者、被曝(ひばく)者らと交流。原爆投下や核兵器保有に対して意見の異なる人たちとも対話を重ねた。

 メンバーは帰国後もそれぞれの体験を生かして活動。第一陣のイラン訪問を契機に、同国の毒ガス被害者らとの交流が市民レベルで広がっている。

 メンバーや記者が訪問国での体験を語る学校での「出前授業」は8校、約1100人に達した。写真展も開き、約3000人が見学。会場ではメンバーが見学者に説明した。

 ミッションへの寄付金は個人・法人合わせて536件、計531万円余。バイオリン奏者の辻井淳さんは、チャリティーコンサートで支援してくれた。

(2005年6月30日朝刊掲載)

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