広島世界平和ミッション 旅を終えて <5> 問われる被爆国 憲法生かし平和外交を
05年7月1日
「平和憲法を持つ国がなぜイラクに軍隊を派遣するのか」「日本は米国の『核の傘』に守られているではないか。日本政府にこそ注文を」「日本は核武装するのでは?」
r>r>
インド、パキスタンをはじめ、スペインやフランス、米国、韓国など平和ミッションが交流した国々の市民や国際関係の専門家らから、日本の核軍縮政策への疑問や軍事大国化、核武装化への強い懸念が出された。
r>r>
原爆被害の実態とともに、戦争やテロという「暴力」ではなく、「平和と和解」のメッセージを届けようとした被爆者らメンバーにとって、足元を見詰める旅ともなった。
r>r>
第三陣がスペインを訪問したのは昨年七月、国際テロ組織によるマドリードの列車爆破テロで、約二百人が死亡した事件から四カ月後のこと。その間にイラクに軍隊を派遣したアスナール政権は事件後の総選挙で敗北。代わって誕生したサパテロ社会党政権は軍隊を撤退させた。
r>r>
平和・人権活動家らとの交流でメンバーは「スペインではなぜテロへの報復ではなく軍を撤退させたり、イラク反戦デモに何百万もの人たちが参加したのか」と問うた。
r>r>
rong>派遣に疑問■ rong>r>r>
その答えは示唆的だった。内戦に続くフランコ軍事独裁政権、「バスク祖国と自由(ETA)」によるテロなどを長年経験し、スペインの市民の間には「暴力では何も解決しないとの社会的土壌がはぐくまれていた」というのだ。テロの被害者や遺族からも同じ言葉を聞いた。
r>r>
逆に彼らからは「平和国家の日本がなぜイラクに軍隊を派遣したのか」と疑問が投げかけられた。メディアも関心を寄せた。取材を受けた最年少のメンバー(18歳)は「日本人の多くは自衛隊派遣に反対しているけれど、政府はそれを無視して派遣している」と自らの思いを率直に答えた。
r>r>
しかし、訪問国がどこであれ被爆者らメンバーはこうした質問を受けること自体にじくじたる思いにかられた。日本の現実が「ヒロシマ・ナガサキの教訓」や平和憲法の理念と大きく食い違ったところまで来てしまっていることを自覚せざるを得なかった。
r>r>
世界に核兵器廃絶を訴えながら、米国の「核の傘」に守られているという状況も、被爆地の声を弱めている要因である。
r>r>
日米安保条約の下で、日本の軍事的役割が増大し、今以上に軍事大国化するのではないか…。「北朝鮮が核武装すれば日本も核保有の道を歩むだろう」。米国などではこんな声も耳にした。
r>r>
日本の核武装が取りざたされる背景には、一部の政治家らの「日本も核武装すべきだ」といった発言がある。民生用とはいえ、核兵器にも転用できるプルトニウムを軸に据えた日本の核燃料サイクルへの疑念がそれに重なる。
r>r>
青森県六ケ所村のプルトニウム再処理工場の稼働には大きな問題をはらんでいる。が、その問題は今は問うまい。
r>r>
rong>若者へ継承■ rong>r>r>
それよりも日本政府の外交・軍事政策と被爆地との願いが、これほど大きなギャップを見せたことはかつてない。広島・長崎の体験を人類史における教訓として世界に説得力をもって訴えていくためにも「平和憲法」の理念に沿った日本の平和外交は欠かせない。
r>r>
国家レベルで近隣諸国との信頼醸成を図る一方で経済、文化、スポーツ交流などを通じて民間レベルでの相互理解も深める必要がある。その関係をアジア・太平洋地域に広めながら朝鮮半島、さらには北東アジアの「非核地帯化」構想を積極的に進めるべきだろう。米国の「核の傘」から抜け出す方策も探るべきだ。
r>r>
今日の日本の外交・軍事政策と、被爆体験や戦争体験の風化とは決して無縁ではない。核保有国など世界の人々にヒロシマ・ナガサキを伝える重要さと同じように、日本人、とりわけ若者たちへの継承は緊急の課題である。
r>r>
(2005年7月1日朝刊掲載)