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連載・特集

紙上座談会 東日本大震災から11年

 東日本大震災と東京電力福島第1原発の事故からあす11年を迎える。大勢の命が奪われ、国土や生業も深く傷ついた。直後から国を挙げて復旧・復興を目指してきたものの、現状はどうか。10年の節目を過ぎた日本は今、新型コロナウイルスへの対応に追われているが、震災の記憶や教訓を忘れてはならない。論説委員が紙上座談会で語り合った。

被災者 心のケア遅れ/深い爪痕 帰れぬ住民

実現可能な行程示せ/役割増す「震災遺構」

■復興の今

 A 巨大な防潮堤やかさ上げした住宅地の造成など、1年前に訪れた岩手県ではインフラ工事はおおかた完了したように見えた。でも先日の世論調査では、震災と原発事故の被災地復興について「どちらかといえば」を含め、計55%が順調に進んでいるとは思わないと答えていた。

 B まだら模様というところだろう。インフラが整備されても住民が戻らない地区も多い。復興事業と住民ニーズのミスマッチが目立つから「順調ではない」との印象になる。

 C 防潮堤や道路など目に見える復興を優先して推し進めた印象だ。

 D 復興予算を湯水のように使うことは見直さないといけない。災害復旧事業の効果など、検証も進める必要がある。

 B 昨年12月の三陸沿岸道路の全線開通は、物流の促進や観光振興に向けて明るいニュースだった。でも国のグループ補助金の仕組みを使って再出発しながら、行き詰まる事業所が目立つ。特に三陸沿岸の水産加工関連では、ネット取引で商機を広げた企業がある一方で、地元の需要の喪失に直面した会社もある。

 E インフラ復旧は、ほぼ完了の段階に進んだようで何よりだけど、被災者の「心の復興」が遅れていると思う。コミュニティーが崩壊し、孤独を感じている高齢者も多いのではないか。

■原発の周辺

 F 福島第1原発周辺には住民がいまだに帰還できない地区がある。

 B 全町民避難が続く双葉町などでは住民たちの「準備宿泊」が始まった。町は住民の早期帰還を予定しているけれど、復興庁の意向調査では希望する住民は一部にすぎない。原発被災地の厳しい現実だ。

 C 先月、福島第1原発の南3キロにある大熊町の帰還困難区域を取材した同僚カメラマンは「町がなくなる」と感じたという。津波で破壊された家々は11年間、手つかず状態。解除されても住民が暮らす光景を想像できなかったと。

 A 除染で取り除いた土を入れた黒い袋が、県内のあちこちに置かれていたけれど、3月末までに大熊町と双葉町にある中間貯蔵施設への搬入がほぼ完了するらしい。

 C でも、2045年までに県外の最終処分場に移すと法律で決めていながら、受け入れ先は決まっていない。国は果たして約束を守れるのか。「将来も事故処理のための町になるのではないか」。住民からは不安や不信の声も聞かれる。

 F 避難住民らが東京電力に損害賠償を求めた複数の訴訟で、最高裁が今月相次いで東京電力の責任を認め、損害賠償を命じる判決を出している。

 G 国の指針を上回る額の賠償を命じていた。しかし責任が明確になるまでこんなにかかるとは…。

 F 事故の損害賠償がいかにトゥーレート、トゥーリトル(遅すぎるし、少なすぎる)かを物語る。最高裁は国の責任について結論を出すのを先延ばしにしたけど、原発は半ば国策で進められてきた。国の責任も早く認めるべきだ。

 E 定期購読しているいわき市の地域紙は、最新号で一人の被災者を取り上げていた。避難指示が出た富岡町に一人残り、置き去りにされた動物たちの世話を続けた松村直登さん(62)。松村さんによれば「今、復興予算と銘打ち、使い切れないほどの金がある」状況は、かつて電源3法交付金などで多くのハコモノが造られた頃とダブるらしい。「今だけ、カネだけ、自分だけ」の風潮は震災後も変わらない、と。松村さんの姿は復興や原発政策というものを問い掛けてくるようだ。

■廃炉

 F 11年たつというのに、廃炉作業の先行きが見えない。そもそも可能なのかと疑問に思う。

 D 廃炉の前提となる溶融核燃料(デブリ)の取り出しさえ、できていないのだから、廃炉が計画通りに進むとは思えない。

 H 東電は今年中に長さ22メートルのロボットアームを使って2号機のデブリを取り出す計画という。アーム先端に取り付けたブラシでこすり取ったり、吸い取ったりする。もっとも試験的であって、数グラムを取り出すのが目標らしい。巨額の費用をかけて全力で取り組んでいるのだろうが、道のりは遠そうだ。

 F 国が当初想定した40年では廃炉できないことだけは、はっきりした。計画を早く見直し、実現可能なスケジュールを示すべきだ。

 A 原発の処理水も喫緊の問題となっている。含まれる放射性物質濃度を確認した上で大量の海水で薄めて海に放出する処分計画に対し、世論調査によると「賛成」が32%、「反対」が35%で賛否が拮抗(きっこう)していた。

 D 濃度を基準値未満にして放出する計画だ。理論的には国が言うように「安全」かもしれないが、国民感情では「安心」とはならない。

 A 反対の理由には「環境汚染や健康被害につながると思うから」という人が58%と最も多かった。風評被害も懸念されている。

 F 漁業者をはじめ地元が納得していないのに、処理水の海洋放出を決めることは許されない。そもそも汚染水を減らす対策も、今の凍土壁でいいのか、検討する必要がある。

 D 原発は発電コストが安い電力とされてきたけれど、ひとたび事故が起きれば、かかる費用は底なし沼だと痛感させられた。とても高くつく電力だ。脱炭素のために原発回帰を考えるなんてあり得ない。いったん立ち止まって、エネルギー政策を議論しなくてはならない。

 G 「安全神話」も崩壊し、リスクのある原発を使いたくはないけど日本のエネルギー事情を踏まえると頼らざるを得ないのではないか。原発は必要か不要か―。国民的な議論が求められる。ところが松江市にある島根原発2号機の再稼働に向けた地元説明会などでも肝心の議論は聞けなかった。エネルギー政策をつかさどる国側に、リスクを負う当事者意識が感じられないのが問題だ。

 E ロシアがウクライナの原発を砲撃したのには、ぞっとした。もし原発が破壊されたら、どんな事態を招くか分からないのか。通常ミサイルでも、原発に当たれば電源喪失などで核による攻撃と同様の悲劇をもたらすだろう。原発を「核発電」と呼ぶ、福島の詩人がいた。「原子力の平和利用」といっても、戦争時に標的になる危うさがある。

■記憶の風化

 H 10年の節目を過ぎ、廃炉作業や復興に対する国民の関心は薄まったようだ。世論調査で半数は関心が「低くなった」と答えた。刊行される震災関連の書籍もめっきり減った。

 B 新型コロナウイルスの感染が拡大する前は毎年のように被災地を訪れていたが、この3年ほど行けておらず、気になっている。というのも被災地から発信される情報が減ってきたからだ。市町村主催の追悼式典も縮小しつつあるようだ。コロナ禍に加え、ウクライナ情勢の悪化もある。震災11年が埋没してしまわないか危惧している。

 C 10年の節目だった昨年、「復興五輪」も開催し、一段落ついたというような意識が国民の間にあるのではないか。「何が復興五輪だ」という声を、東北の人からたくさん聞いた。震災や原発事故による被災者の痛みはまだ癒えていない。

 B あの日、何が起きたかを伝える「震災遺構」の役割が、記憶の継承にとって大きくなりそうだ。

 G そう思う。宮城県石巻市の大川小を訪れて感じた恐ろしさ、悲しみは今も胸に刻まれている。予想しなかった「川からの津波」が児童たちを襲った。災害時には「想像力」を働かせ避難することが必要なのだろう。現地で被害の生々しさに触れて共有することが防災につながる。

 C 一方で、双葉町に造られたアーカイブ拠点「東日本大震災・原子力災害伝承館」は物足りなかった。原発事故の教訓を後世に残す施設というが、時系列で国や県などがどう対応したかは分かっても、いかに暮らしが破壊されたかという怖さが感じられない。事故に対する反省、教訓も伝わってこなかった。

 G 東日本大震災では、津波の時はとにかく逃げる「てんでんこ」の意識、重要性が注目された。今後のさまざまな自然災害においても生かすべき教訓だろう。

 H 広島土砂災害や西日本豪雨など中国地方でも大規模な自然災害が相次いでいる。地震や火山の噴火など、全国どこでも、いつ災害に巻き込まれるか分からない。いざというときの避難方法や心構えなど、震災から学ぶべきものはたくさんある。

 G ところが、教訓が避難行動に十分生かされていない。震災に限らず、地域の過去の災害についても、日頃から語り継いだり耳を傾けたりしておくことが大切だ。

(2022年3月10日朝刊掲載)

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