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連載・特集

知られざるヒバクシャ 劣化ウラン弾の実態 第5部 戦場国の爪痕 イラク <1> 放射線治療 施設は国内2ヵ所 待つ間に死亡例も

 一九九〇年八月のイラク軍のクウェート侵攻に対し、翌年一月十七日、米国を中心とした多国籍軍が空爆に踏み切った。こうして始まった湾岸戦争。三月三日の停戦協定成立までに犠牲となったイラク人は、民間人を含め十万人を超える。戦場となったイラク南部では、米・英両軍が使用した放射能兵器である劣化ウラン弾などの影響が強く残る。兵士ばかりでなく、白血病などで命を落とす多くの子どもや市民。九〇年から続くイラクへの経済制裁が、医薬品などの不足に拍車をかけ、事態は深刻さを増している。(田城明、写真も)

 ヨルダンの首都アンマンから車で東へ約九百キロ。イラクの首都バグダッドに到着後、文化情報省で取材の手続きを済ませ、翌日市内の放射線学・核医学研究所兼病院を訪ねた。

治療までに3ヵ月

 「見ての通り、患者がいつもいっぱいでね。放射線治療を受けるために、一カ月から三カ月も待たなければいけないんだ」。恰幅(かっぷく)のいい病院長のタハ・アル・アスカリさん(41)は、一階の廊下で治療を待つ患者たちに時折声を掛けながら、院長室隣の会議室に向かった。

 イラクで放射線治療設備のある病院は、ほかに北部のモスル市にもう一カ所あるだけ。放射線治療患者の八割以上が、この病院で治療を受ける。

 「モスルには機器が一台。ここには四台ある。そのために全国から患者が集まる。うち四~五割はイラク南部の戦場地域や周辺の人たちだよ」

 アスカリさんは、特にここ数年、その傾向が強まったという。「米・英両国が使った劣化ウラン弾による影響が出ているのだろう。これから先、患者が増える可能性は高い。でも、今の古い設備ではとても対応できない」と頭を痛める。

 同席していた腫瘍(しゅよう)学専門のカースム・ファーレさん(52)の案内で、治療室を見学した。

 「四台のうち、比較的新しいのは昨年十一月にフランスから入ったこの機器だけ。これも先進国で使われているのに比べれば、随分遅れたものだけどね…」

 治療中のランプと音が消え、厚いドアを開けて中に入ると、脳腫瘍の治療を終えた女性が、白い大きな機器から下りていた。

1日に80人が限度

 他の三台の機器は既に二十年がたち、時代物の印象はぬぐえない。一台は乳がん、もう一台は皮膚がん専用である。午前八時から深夜十二時まで、四台が稼働して八十人の治療が限度。うち十~十二人は毎日新しく受け入れた患者である。

 「機器が古いので、放射線源のコバルト60から放出されるガンマ線が弱くなっている。普通なら瞬時に終わる治療も、必要な線量に達するまで十五分から三十分もかかってしまう」とファーレさん。

入手困難ヨウ素131

 その上、機器に故障が起きると古くてスペアがなく、修理専門の技術者もいない。「この時は一気に効率が落ちてしまう」と嘆く。

 固形腫瘍患者だけを治療するこの病院では最近、脳腫瘍、悪性リンパ腫のほか、子どもの甲状腺(せん)がんや女性の乳がん患者の増加が目立つという。

 しかし、甲状腺がんの治療に必要なヨウ素131は、放射線治療機器と同じように「放射性物質」として経済制裁で入手がままならず、乳がんの患者らの中には、治療を待つ間に死亡するケースも少なくない。

 「今も百二十人以上の患者が放射線治療を待っている。われわれがベストを尽くして治療に当たっても、現状では助けられないことが多い」。案内に加わったアスカリさんは、無念さを口元ににじませた。

 効率の悪い機器と数の不足、最新の学術文献や医学雑誌の欠如、閉ざされた国際学会への参加…。

 「治療法は日々進歩しながら、われわれはこの十年間、経済制裁のために新しい機器や知識を求めることすら許されなかった。放射能をまき散らして被曝(ひばく)者をつくりながら、治療の道は閉ざす。こんなことが許されていいのだろうか…」

 アスカリさんは、穏やかな口調でこう問い掛ける。

(2000年6月18日朝刊掲載)

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